コラム

イチロー選手は「ボール球」をもう打たなくて良いのでは?

2009年09月16日(水)12時20分

 この日曜から月曜にかけて、アメリカでは、テニスの全米オープンの決勝で盛り上がっていました。こちらと同時並行で進んでいた、イチロー選手の連続200本安打の新記録達成というニュースは、そのテニス中継の画面下のテロップで何度も流されるなど、やはり注目がされています。とにかく、偉大な記録であり、恐らくは2度と破られることはないでしょう。

 日本ではこれで「イチローの殿堂入りが確実になった」という報道もあるようです。私はもう数年前から、確実視していましたが、ここまで来るともうほぼ決まりでしょう。殿堂入りの最低条件である実働10年を達成する来年には、事実上そういうことになるのだと思います。ということは、イチロー選手は「完全なる栄光」を目指す、そうした段階に差し掛かったということを意味します。

 それはニューヨーク州クーパーズタウンにある、野球殿堂(ベースボール・ホール・オブ・フェイム)への顕彰(インダクション)において「ほぼ満票での一発選出」がされるということです。殿堂入りを決めるのは野球ジャーナリストを中心とした委員会(BBWAA)による投票で、引退後5年が経過した時点から資格が発生し、投票がされていきます。インダクションが決まるためには、得票率75%を獲得しなくてはなりません。「一発で」というのは、その資格発生初年度にいきなり75%を取るという意味です。

 また「ほぼ満票」というのは75%ではなく、限りなく100%に近い数字という意味で、実は大変に難しいものです。「ほぼ」という言い方をしたのは、どんなスーパースターに対しても「イチャモン」をつける委員が必ずいるので、現実的に100%は不可能という意味なのですが、そうした票を除いた95%とか97%という「ほぼ満票」を得る、しかも「一発で」というのが「完全なる栄光」という意味です。そして、現時点では残念ですが、イチロー選手はそこまでの評価はされていません。

 ところで、今週は逆の「ダメダメ」という事例もありました。他でもないバスケットボールのスーパースター、マイケル・ジョーダンが先週バスケットボールの「殿堂入り」したのですが、その際のスピーチで大失敗をしてしまったのです。全体的に低調なスピーチだったのですが、特に昔の同僚を見下した部分や、再度の現役復帰(?)を匂わせるような「往生際の悪さ」を見せた部分は「大ヒンシュク」でした。まあ、この人は、永遠に自分を探し続ける少年のようなところがあり、こうした大舞台でも「成熟を拒否した」のは彼らしいとも言えるのですが、それでも例としては「ダメダメ」には違いありません。

 イチロー選手は、マイケル・ジョーダンの轍を踏むようなことはないでしょう。とは言っても「一発、ほぼ満票」で殿堂入りをするのは難しいわけで、ではどうしたら良いのでしょうか?

 答えは簡単です。ボール球を打たないことです。

 イチロー選手がボール球を打たなくなれば、出塁率は上がります。その結果チームの得点が増え、勝利につながります。これは数字が歴然と示しています。実は今シーズンのイチロー選手は「9年連続200安打」を達成しましたが、もう1つの記録「9年連続100得点」はもしかしたら逸してしまうかもしれません。昨年まで8年連続で続けてきた「100得点」、つまり自分でのホームベースを踏んだ回数が100を越えたという記録ですが、残り18試合の現時点で(14日まで)79というのは苦しい状況です。ちなみに、得点の最高はマリナーズ初年度の2001年で127得点を稼いで地区優勝に貢献しています。そして、この年を最後にマリナーズはプレーオフに進出していません。

 今回の「9年連続200安打」を契機に改めて出塁率の重要性に立ち返れば、「打点の機会が増える」ことで後続打者にも喜ばれ、チームのムードも更に良くなり、相手投手は嫌がるようになるでしょう。その結果、イチロー選手の得点が増えてチームが躍進すれば、最近は鎮まっているとはいえ、シアトルの街にくすぶる「イチローのプレースタイルへの疑問」も消えていくでしょう。そして、もう一度で良いから、宿敵エンゼルスを倒してアリーグ西地区とプレーオフを制し、少なくともマリナーズとして初のワールドシリーズ出場を果たすこと、これが「完全なる栄光」のシナリオです。

 そうでなくて、あくまで安打数だけにこだわっている、そんなイメージがついて回ってしまっては「一発、ほぼ満票」はムリでしょうし、それでは「殿堂入り」の際にも、プレースタイルへの疑問の声など、雑音はゼロにはならないと思うのです。にもかかわらず、例えばTVジャパンを通じて見た記録達成直後のNHK『ニュースウォッチ9』では、1時間の番組の中で2回も「イチロー選手はボール球を打つからヒットが増える」などという「トンデモ」報道をしています。しかも、かなり立派な専門家の方まで引っ張り出し、グラフィックを使って、まるでキャンペーンのような形でした。これはもう止めていただきたいと思います。

 現時点での今シーズンのイチロー選手の「選んだ四球数(敬遠を除く)」は12だけです。その結果として打数が多く1試合平均4.42打数、これが打率を下げる原因ともなっています。私はこれまで、そして今年のこうしたプレーを否定するつもりはありません。ですが、イチロー選手自身が「解放された」と言っているように記録へのプレッシャーは、もうなくなりました。もう二度と、胃潰瘍や吐き気など、この不世出の大選手を追い詰めることはすべきではないと思うのです。今は自然体の野球に戻るべき時です。そうすれば「完全なる栄光」への道は自然に開いてゆくと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ米大統領、日鉄とUSスチールの「パートナー

ワールド

マスク氏、政府職を離れても「トランプ氏の側近」 退

ビジネス

米国株式市場=S&P500ほぼ横ばい、月間では23

ワールド

トランプ氏の核施設破壊発言、「レッドライン越え」=
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:岐路に立つアメリカ経済
特集:岐路に立つアメリカ経済
2025年6月 3日号(5/27発売)

関税で「メイド・イン・アメリカ」復活を図るトランプ。アメリカの製造業と投資、雇用はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「MiG-29戦闘機」の空爆が、ロシア国内「重要施設」を吹き飛ばす瞬間
  • 2
    「ウクライナにもっと武器を」――「正気を失った」プーチンに、米共和党幹部やMAGA派にも対ロ強硬論が台頭
  • 3
    イーロン・マスクがトランプ政権を離脱...「正直に言ってがっかりした」
  • 4
    3分ほどで死刑囚の胸が激しく上下し始め...日本人が…
  • 5
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 6
    【クイズ】生活に欠かせない「アルミニウム」...世界…
  • 7
    「これは拷問」「クマ用の回転寿司」...ローラーコー…
  • 8
    ワニにかまれた直後、警官に射殺された男性...現場と…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「ダイヤモンド」の生産量が多…
  • 10
    今や全国の私大の6割が定員割れに......「大学倒産」…
  • 1
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「MiG-29戦闘機」の空爆が、ロシア国内「重要施設」を吹き飛ばす瞬間
  • 2
    今や全国の私大の6割が定員割れに......「大学倒産」時代の厳しすぎる現実
  • 3
    【クイズ】世界で最も「ダイヤモンド」の生産量が多い国はどこ?
  • 4
    「ウクライナにもっと武器を」――「正気を失った」プ…
  • 5
    アメリカよりもヨーロッパ...「氷の島」グリーンラン…
  • 6
    デンゼル・ワシントンを激怒させたカメラマンの「非…
  • 7
    「ディズニーパーク内に住みたい」の夢が叶う?...「…
  • 8
    友達と疎遠になったあなたへ...見直したい「大人の友…
  • 9
    ヘビがネコに襲い掛かり「嚙みついた瞬間」を撮影...…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
  • 1
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 2
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 3
    脂肪は自宅で燃やせる...理学療法士が勧める「3つの運動」とは?
  • 4
    「2025年7月5日に隕石落下で大災害」は本当にあり得…
  • 5
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 6
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
  • 7
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 8
    【クイズ】世界で2番目に「軍事費」が高い国は?...1…
  • 9
    部下に助言した時、返事が「分かりました」なら失敗…
  • 10
    今や全国の私大の6割が定員割れに......「大学倒産」…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story