コラム

数十年ぶりに正常化しつつある日本の雇用

2018年08月31日(金)19時30分
数十年ぶりに正常化しつつある日本の雇用

minokku-iStock

<アベノミクスによって需要不足がほぼ解消されたことで、社会全体の生産可能性の拡大が、実質賃金の増加という形で、人々の厚生にそのまま結びつき始めた...>

日本の賃金上昇が、ここにきてようやく本格化し始めた。厚生労働省の毎月勤労統計によれば、5月の現金給与総額は15年ぶりの伸びである前年比2.1%増となり、6月のそれは21年5カ月ぶりの3.6%増となった。これは、この5年半に及ぶアベノミクスの結果、日本経済が1997年4月の消費税増税による経済危機を契機として始まった賃金・物価の下方スパイラルからようやく抜け出しつつあり、賃金が労働生産性の上昇を反映して増加するような「正常な成長経路」に復帰しつつあることを示唆している。

ブルームバーグ2018年7月9日付の記事「15年ぶり賃金上昇、人手不足続く」に掲載されている「賃金・雇用・生産性12チャート」には、この5年半のアベノミクスによって、日本の労働市場にどのような変化が生じたのかが端的に示されている。

アベノミクスが開始された2013年以来、失業率と有効求人倍率は、ほぼ直線的に改善し続けた。そして2015年頃からは、それまでは減少傾向にあった正規雇用も明確に上昇傾向に転じた。しかし、こうした雇用の量と質の両面における改善にもかかわらず、賃金は伸び悩んだ。

ただし、パート労働のように転職が比較的容易であり、賃金インセンティブに対する労働供給の感応度が高い労働市場では、賃金上昇が早くから生じ始めていた。これは、労働市場が次第に逼迫する中で、企業が移ろいやすい非正規労働者に逃げられないためには、彼らの賃金を引き上げるほかなかったということである。他方で、未だに転職に対して高い心理的障壁が存在し、そのために賃金インセンティブを通じた市場の圧力が及びにくくなっている正規の労働市場では、賃金はなかなか上昇トレンドには乗らなかった。

その一般労働者の賃金も、2018年に入る頃から、顕著な上昇を示し始めたのである。その結果、長く低迷し続けてきた、名目賃金の上昇から物価上昇を差し引いた実質賃金の伸び率も、ようやくプラスの領域に浮かび上がった。

筆者は、以前のコラム「消費税増税による消費低迷が長引く理由」(2018年04月03日付)において、労働生産性の上昇を伴って成長する正常な成長経済では、労働者の実質賃金がその労働生産性上昇を反映して上昇する傾向があるが、日本では1997年以降、「労働生産性が上昇し続けてきたにもかかわらず実質賃金は低下し続けてきた」ことを指摘した。最近になって本格化し始めた名目および実質賃金の上昇とは、日本経済がようやく、この20年以上にも及ぶ異例の縮小均衡経済から離脱し、1990年代初頭のバブル期までは実現されていた「生産性上昇と賃金上昇が相伴って生じる正常な成長経済」に戻りつつあることを意味している。

長期デフレ縮小均衡に陥っていた日本経済

一般に、労働生産性の上昇とは、労働者一人当たりが生み出す財貨サービスの増加を意味する。それは多くの場合、経営上のそれも含む技術革新による生産効率の改善や、より高い付加価値を持つ新製品の登場などによって促進される。

このように、労働者一人当たりが生み出す財貨サービスが増加するのであれば、労働者が得る実質賃金、すなわち手取りの賃金によって購買できる財貨サービスの量も、相伴って増加するのが当然である。企業の立場から見ても、労働生産性が上昇して労働者一人当たりが生み出す付加価値が増大しているのであれば、企業収益を減らすことなく実質賃金を引き上げることが可能になる。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)等、著書多数。

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