コラム

日本経済は新型コロナ危機にどう立ち向かうべきか

2020年03月25日(水)12時00分

TommL-iStock

<新型コロナ危機、東京オリンピック延期へのあるべき経済政策を考える。そして、「政策の是非を判断するための思考枠組み」を明確化する......>

世界は現在、まさに新型コロナ危機によって覆い尽くされている。幸いなことに、中国以外では最も早く感染事例が報告された国の一つであった日本では、少なくとも現在までのところ、その後の一部欧米諸国のような社会全体での爆発的な感染拡大は生じていない。しかし、その日本でも、旅行業、飲食業、レジャー産業、スポーツや音楽等のエンターテイメント産業等が典型であるように、それに伴う深刻な経済活動停止状況が生じている。その負の影響は累積的に拡大しつつあり、否応なく経済全体に及び始めている。

この状況をこのまま放置できないことは、誰の目からみても明らかである。実際、政府は既に何弾かの緊急経済対策を打ち出している。また、政治の世界では、与野党を問わず、さまざまなレベルの大小さまざまなグループによって、減税や給付等を中心とした経済対策が提言されている。それは専門世界でも同様であり、多くの専門家が個人あるいはグループで、ネットその他の媒体を通じてさまざまな提言を行っている。政府は今後、そうした政界や専門世界での議論を踏まえつつ、現実に行われることになる具体的政策をそこから選び取っていくことになるであろう。

筆者はこれまで、「社会において経済政策が現実化されるそのあり方の解明」を、自らの研究課題の一つとしてきた。その成果の一つは、浜田宏一(イェール大学名誉教授、当時はイェール大学教授)、若田部昌澄(日本銀行副総裁、当時は早稲田大学教授)、中村宗悦(大東文化大学教授)、田中秀臣(上武大学教授)、浅田統一郎(中央大学教授)、松尾匡(立命館大学教授、当時は久留米大学教授)の各氏を執筆者とし、筆者を編者として出版された、『経済政策形成の研究─既得観念と経済学の相剋』(ナカニシヤ出版、2007年)である。また、この4月には、この課題に関する筆者自身の著書『経済政策形成の論理と現実』(専修大学出版局)が出版される予定である。新型コロナ危機への経済的対応策をめぐる上のような現状は、筆者がこれまで行ってきた種類の経済政策研究にとっても、きわめて興味深い素材となっている。

本稿では、この筆者が考える意味での経済政策学の観点から、新型コロナ危機へのあるべき対応策を考える。上で指摘したように、新型コロナ危機への具体的対応策については、既に数多くの専門家によってさまざまな提案や提言がなされている。本稿は、そうした特定の具体策の是非というよりは、「それら政策の是非を判断するための思考枠組み」を明確化しようとするものである。

政策目標、政策手段、そして価値判断

あらゆる経済政策は、まずは、その政策によって克服されるべき問題とは何かを確定することから始まる。それが政策目標である。その政策にとっての課題あるいは目標は、きわめて自明で単純な場合もあれば、曖昧であったり錯綜したものであったりする場合もある。

その最も単純でなじみ深い実例の一つは、いわゆる景気対策である。そこでは、克服されるべき課題は「不況」であり、その目標は「景気回復」にあることは自明である。そして、そのための具体的な政策手段が、金融政策あるいは財政政策といったマクロ経済政策であるということも、ほぼ自明である。ケインズをはじめとする経済学者たちが強調し続けてきたように、不況とは経済全体の潜在的な供給能力に対して需要が不足した状態を意味している。したがって、不況を克服し、景気回復を実現するには、金融政策や財政政策といった、経済全体の総需要の拡大に寄与する経済政策が必要となるわけである。

経済政策論の文脈では、ある政策目標に対してどのような政策手段を割り当てるべきかという課題は、政策割り当て問題と呼ばれている。それに関しては、ヤン・ティンバーゲンやロバート・マンデルの貢献がよく知られている。いわゆる景気対策についていえば、通常の景気循環の平準化にはもっぱら金融政策を割り当て、リーマン・ショック後の世界大不況のような巨大不況の克服のためには財政政策をも併用するというのが、マクロ経済政策運営に関する現在の標準的な考え方である。そうした政策戦略の背後には、ケインズ派と「新しい古典派」の相互批判を通じて展開されてきた現代マクロ経済学が存在する。

今回の新型コロナ危機が持つ最大の厄介さは、「感染拡大の抑止」と「経済活動の維持あるいは正常化」という死活的に重要な二つの政策目標が存在し、その両者を同時に達成することがきわめて難しいという点にある。感染拡大抑制のためには休業、休暇、休校等の奨励を通じた感染リスクの最小化が必要であり、それは当然ながら経済活動の政策的抑制を伴う。事実、中国や欧米をはじめとする一部地域では、店舗営業の停止、企業の生産活動等の停止、人々の移動や外出の制限や禁止、都市封鎖等の政策が行われてきた。現状では、その経済活動停止領域は、世界的にはむしろ拡大しつつある。

各国の失業統計等に既に現れ始めているように、この経済活動停止によって生じる経済的収縮は、おそらく「リーマン・ショック級」あるいはそれ以上のものになるであろう。しかしそれは、リーマン・ショック後の大不況とは異なり、家計や企業の支出抑制による意図せざる結果ではなく、感染拡大抑制という政策目標を達成するために各国政府が意図的に行った政策に伴う必然的な結果に他ならなかった。

各国政府は今このように、本来なら促進こそすれ抑制などするはずもない民間の経済活動を意図的に抑制する政策の実行を迫られている。それは、「感染拡大の社会的リスクがもはや許容できない水準まで高まっており、それは経済活動停止によって生じる損失をも上回っている」という価値判断によるものである。

その深刻さは千差万別であるが、あらゆる経済活動には、公害に代表されるような、外部性から生じる社会的損失が存在する。そうである以上、外部性を生じさせる経済活動をすべて禁止するわけにはいかない。それをどこまで規制あるいは許容すべきかは、その社会的損失にどれだけのウエイト付けを行うかという、社会全体での価値判断に依存する。その点に関しては、各国は今回、新型コロナ感染拡大の社会的リスクに対してきわめて高いウエイト付けを行ったと考えることができる。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米国株式市場=S&P・ナスダックほぼ変わらず、トラ

ワールド

トランプ氏、ニューズ・コープやWSJ記者らを提訴 

ビジネス

IMF、世界経済見通し下振れリスク優勢 貿易摩擦が

ビジネス

NY外為市場=ドル対ユーロで軟調、円は参院選が重し
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 2
    「細身パンツ」はもう古い...メンズファッションは「ゆったり系」がトレンドに
  • 3
    「想像を絶する」現場から救出された164匹のシュナウザーたち
  • 4
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が…
  • 5
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長…
  • 6
    「二次制裁」措置により「ロシアと取引継続なら大打…
  • 7
    「どの面下げて...?」ディズニーランドで遊ぶバンス…
  • 8
    ロシアの労働人口減少問題は、「お手上げ状態」と人…
  • 9
    「異常な出生率...」先進国なのになぜ? イスラエル…
  • 10
    アフリカ出身のフランス人歌手「アヤ・ナカムラ」が…
  • 1
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 2
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が話題に
  • 3
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 4
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長…
  • 5
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    アメリカで「地熱発電革命」が起きている...来年夏に…
  • 8
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 9
    ネグレクトされ再び施設へ戻された14歳のチワワ、最…
  • 10
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パス…
  • 1
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が話題に
  • 4
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測…
  • 5
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 6
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 9
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 10
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story