コラム

「日本学術会議」任命拒否騒動に見る国家と研究者の適切な距離

2020年10月06日(火)12時53分

そしてその様な政府と研究者の関係は、政府関係委員会委員の任命を巡ってのみ取り結ばれる訳ではない。例えば大学では毎年のように、甞て退職した教員の受勲の為の推薦活動が展開される。「あいつがあの勲章を貰ったのだから、うちの先生にはもっと良い勲章が与えられるべきだ」。そう言いながら、小さな勲章の為に奔走する研究者の姿は、お世辞にも美しいものとは言えず、正に政府とそれにより与えられる権威に翻弄されるものと言うしかない。

近年の日本学術会議は、その機能を大きく低下させており、例えば、この機関が政府に「答申」を出したのは最も近いもので2007年、「勧告」は同じく2010年、政府に対して研究者の意見を届ける「要望」も2008年を最後に出されていない。殆どの活動は幹部会において議決される「提言」に過ぎず、その活動は少なくとも甞てに比べて低調と言わざるを得ない。背景には深刻な予算難があると言われており、210人の会員と2000名近い連携会員を集め、大規模な会議を開催する事すら難しくなっている。

しかし、それでも今回の日本学術会議委員任命拒否は、研究者の世界を大きく揺さぶっている。結局それは、日本学術会議が各種政府系委員会でも最も「格式」の高い存在であり、現実の会議が果たす役割を離れて、その委員となる事には、多くの研究者にとって、大きな象徴的な意味が存在するからである。だからこそ、政府にとってこの委員会は研究者に圧力をかける武器にもなる。

若い研究者のことも考えよ

そしてだからこそ、この様な日本学術会議を巡る政府への研究者の抗議は、その権威と縁遠い人達から見れば、時に、一部の研究者が自らの特権を維持する為に行動しているに過ぎないかの様にも映る。そしてだからこそ、政府もまたこの様な人々の反発を、学術会議に対する圧力として利用する事できる。結局、学術会議など一部の「象牙の塔」の住民が自らの特権を守る為に存在するものだ。だから彼らの特権を奪い取り、民意によって動かされるきようにしなければならない、と。

そして更には深刻なのは、同じ様な学術会議、いや正確には研究者の社会の現状への反発は、若手の研究者の中にもある事である。学術会議を構成する委員達の立場は、就職先の確保にすら苦しむ若手研究者の一部には、功成り名を遂げ特権的な研究者のそれに映っている。「学術会議はこれまで一体我々に何をしてくれたのだ」、そう叫ぶ彼らの声は「研究者の貴族院」の「ノブレス・オブリージュ」を問うている。

勿論、研究者の活動が政府から支援を受けなければ維持できない事は、日本のみならず多くの国において同様であり、だからこそ政府との関係を適切に取り結ぶ事は我が国の学問にとって重要だ。しかし、それは例えば審議会委員になる為に競争し、勲章の色を巡って一喜一憂するのとは全く別の事である。研究者と国家の関係は如何なるものであり、我々はどの様な距離を保つべきなのか。そしてその関係を国民や若手研究者にどう説明し、利益を還元していくのか。政府の任命拒否の是非とは別に、今回の事態は、研究者の側が国家とどう向かい合うか、を考える上でも重要な機会になりそうだ。

プロフィール

木村幹

1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授。また、NPO法人汎太平洋フォーラム理事長。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。最新刊に『韓国愛憎-激変する隣国と私の30年』。他に『歴史認識はどう語られてきたか』、『平成時代の日韓関係』(共著)、『日韓歴史認識問題とは何か』(読売・吉野作造賞)、『韓国における「権威主義的」体制の成立』(サントリー学芸賞)、『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(アジア・太平洋賞)、『高宗・閔妃』など。


あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

高市首相、中国首相と会話の機会なし G20サミット

ワールド

米の和平案、ウィットコフ氏とクシュナー氏がロ特使と

ワールド

米長官らスイス到着、ウクライナ和平案協議へ 欧州も

ワールド

台湾巡る日本の発言は衝撃的、一線を越えた=中国外相
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナゾ仕様」...「ここじゃできない!」
  • 2
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 3
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネディの孫」の出馬にSNS熱狂、「顔以外も完璧」との声
  • 4
    老後資金は「ためる」より「使う」へ──50代からの後…
  • 5
    「搭乗禁止にすべき」 後ろの席の乗客が行った「あり…
  • 6
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 7
    【銘柄】いま注目のフィンテック企業、ソーファイ・…
  • 8
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 9
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 10
    【銘柄】元・東芝のキオクシアHD...生成AIで急上昇し…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 4
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 5
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 8
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 9
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 10
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 10
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story