コラム

歩行者をいら立たせないロンドンの街

2012年09月18日(火)09時00分

 こんなことはいつもならまずあり得ないが、この間、僕は思わず東京を悪く言ってしまった。

 イギリスに帰ってからしょっちゅう聞かれるのは、日本で暮らすのは「どんな感じ?」ということ。簡潔に答えるのはほぼ不可能だから、かなり困る質問だ。表の面と裏の顔、良いところと悪いところをすべて説明するなんて到底できないことは分かっているので、僕はいつも1つ良いところを挙げることにしている。

「東京の人たちはとにかくいい感じなんだ」「けんかになることはまずない」「食べ物が最高」あるいは、ただ簡単に「日本が本当に恋しいよ」と言うこともある。こういうふうに言えば、日本に好印象を持ってもらえる。もっとも、日本の別の側面を挙げれば、悪い印象を抱かれるかもしれない(「夏は本当にジメジメして不快」「アパートはびっくりするほど狭い」「緑地がとても少ない」)。

 実際に日本に行ったことがある人は少ないから、彼らの頭の中には話を判断するだけの下地がない。日本暮らしの経験者が話した一言か二言で、日本に対するイメージが簡単に左右されてしまう。だから、大好きな街・東京を決して悪く言うまい、というのが僕のポリシーだった。

 でも先日、不意を突かれてこれを破ってしまった。たまにしか顔を合わせない叔母に、東京の暮らしはどんな感じかと聞かれたときだ。叔母は、巨大な交差点を大勢の人があらゆる方向に行き交う東京の街の写真を見て「驚嘆した」と言っていた(渋谷駅前のスクランブル交差点のことだろう)。

 自分でも驚いたことに、僕はこう答えていた。たしかに驚嘆するような光景だけど、あれは東京暮らしで僕が嫌だった数々のものを典型的に表している光景でもあるんだ。まず、騒音公害と目障りなネオンの視覚公害。次に、人が多過ぎること。そしてそれ以上に問題なのは、東京が「車中心」の都市だということだ。

 あの交差点では、何千人もの歩行者が、第1波の車の流れを待ち、第2波の車、それから第3波の車、と何十秒も続く赤信号に耐えてから交差点を渡る。だからこそあのイカれた「スクランブル」が生まれるのだと、僕は説明した。

■ドライバーも歩行者を尊重

 僕は歩くのが好きだし、街歩きが特に好きだ(田舎を歩くよりずっと面白いと、僕は思っている)。東京でもいたるところを歩き回ったが、いろいろな意味で東京は、街歩きに最高な都市とは言いづらい。

 町並みを眺めて楽しむどころか、ふと気がつくと次の信号には間に合うか、今度の信号は渡れるかと気にしてばかりいるのだ。歩行者が道路を渡れる時間はとても短く、待たされる時間はとても長い。だから、タイミングが悪いと延々と足止めされ、歩くペースを乱されてしまう(ウォーキングとは頻繁に「止まっては動く」ものではない。一定のペースで歩くから気分がいいのだ)。

 それに比べてロンドンをはじめとするイギリスの都市は、はるかに街歩きに適している。叔母に東京のウォーキング事情をぼやきながら、僕は改めてそう思った。歩行者は余裕をもって道路を横断できるし、信号待ちの時間も短い。ボタン式の信号も、歩行者がボタンを押せばすぐに青に変わるものがほとんどだ(東京では、ボタンを押しても待ち時間は変わらず、何のためのボタンなのかと頭にきたものだ。車の都合を優先して信号の待ち時間が設定されているらしい)。

 それにイギリスでは、車が来なければ歩行者は好きな時に道路を横断できる。ロンドンでは、車の流れを巧みにすり抜けて小走りに道路を渡る人をよく見掛けるが、何とかなっている。東京では、左右をよく見て車が見えないから横断したのに、おまわりさんが飛んで来て怒られたことがある。イギリスでは小さな町でも都心でも道路の幅はそれほど広くない。それだけで歩行者から見る街の風景ががらりと変わり、歩くのが楽しくなる。

 とはいえ、僕がイギリスの街歩きで気に入っているのは「ゼブラ・クロッシング」。道路に縞模様が描かれているだけで、信号のない横断歩道だ。歩行者が渡ろうとすれば、車はすぐに止まってくれる。車がすでに横断歩道に差し掛かっていて止まれないときは、ドライバーが手を振って「ごめんなさい」の合図をする。たいがい次の車はちゃんと止まっているので、待たされるのは1秒足らず。それでも謝ってくれるのだ。イギリス人は実はなかなか親切じゃないかと思ってしまう。

 他の国々では必ずしもこうは行かない。信号なしの横断歩道では、車の流れが途切れるまで待たなければ渡れない。車が停まってくれないのだ。それに比べてイギリスでは歩行者の権利が認められていて、ドライバーは歩行者を邪魔ものではなく対等な仲間として扱う。こう断言しても問題ないだろう。

 東京では、車と人の力関係は大きく違う。だから赤信号に延々と待たされた揚げ句に、大混雑のスクランブル交差点で格闘しなければならない。それはあんまりよろしくない――僕の叔母もそう言うことだろう。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

北朝鮮と関係するハッカーが「裏方」ソフトに不正侵入

ビジネス

三井住友銀、米法人傘下銀の商業銀行事業を現地行に売

ワールド

トランプ氏、対イラン作戦2─3週間内に終結も 「間

ワールド

米国民の3分の2、「目標未達でも」イラン戦争の早期
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:日本企業に迫る サステナビリティ新基準
特集:日本企業に迫る サステナビリティ新基準
2026年4月 7日号(3/31発売)

国際基準の情報開示や多様な認証制度──本当の「持続可能性」が問われる時代へ

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅」企業が救う、ウクライナの未来
  • 2
    攻撃開始日も知っていた?──イラン戦争を巡る巨額取引、インサイダー疑惑が市場に波紋
  • 3
    なぜイスラエルは対イラン戦争を支持するのか...「イラン恐怖」の正体
  • 4
    年金は何歳からもらうのが得? 男女で違う「最適な受…
  • 5
    初の女性カンタベリー大主教が就任...ウィリアム皇太…
  • 6
    中国がイラン戦争最大の被害者? 習近平の誤った経…
  • 7
    韓国・週4.5日労働制が問いかけるもの ──「月曜病」解…
  • 8
    ロシア経済を支える重要な港、ウクライナのものと思…
  • 9
    アリサ・リュウの自由、アイリーン・グーの重圧
  • 10
    北京に代わる新都市構想は絵に描いた餅のまま...大幅…
  • 1
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅」企業が救う、ウクライナの未来
  • 2
    ヘンリー・メーガン夫妻の豪州訪問に3万6000人超の反対署名...「歓迎してない」の声広がる
  • 3
    「水に流す」日本と「記憶する」韓国...気候と地理が育んだ「国民意識の違い」とは?
  • 4
    記憶を定着させるのに年齢は関係ない...記憶の定着度…
  • 5
    ロシア経済を支える重要な港、ウクライナのものと思…
  • 6
    中国最大の海運会社COSCOがペルシャ湾輸送を再開──緊…
  • 7
    映画『8番出口』はアメリカでどう受け止められた?..…
  • 8
    作者が「投げ出した」? 『チェンソーマン』の最終…
  • 9
    攻撃開始日も知っていた?──イラン戦争を巡る巨額取引…
  • 10
    オランウータンに「15分間ロックオン」された女性のS…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 3
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 4
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅…
  • 5
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期ス…
  • 6
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え…
  • 7
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 8
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」…
  • 9
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
  • 10
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story