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「エレキ少年」が「中二病」を経て「科学の根底を支える守護者」になるまで──産総研計量標準総合センター・臼田孝
茜 臼田先生の研究の歩みと計量標準との関わりについて伺いたいのですが、先生は小さい頃から科学がお好きだったのですか?
臼田 この研究所の職員にはありがちなのですが、子供の頃はエレキ少年でした。中学、高校の頃になると、もう少し等身大のものに興味持つようになって、自転車を改造したり、バイクに乗ったりして。理系に進むというのは、自分にとって当たり前の選択でした。
産業技術総合研究所計量標準総合センター・総合センター長
臼田孝(うすだ・たかし)
1962年長野県生まれ。諏訪清陵高等学校、東京工業大学卒、同大学院総合理工学研究科修士課程修了。新日本製鐵(現・日本製鉄)勤務を経て、1990年4月に通商産業省工業技術院計量研究所(現在の産業技術総合研究所)に入所。専門は振動計測、光波干渉計、物理センサの校正技術など。ドイツ物理工学研究所、フランス国立科学研究センター、国際度量衡局の各機関で招聘研究員を務め、2012年より国際度量衡委員。現在、同委員会幹事。
茜 それで東京工業大学(現・東京科学大学)に進まれたんですね。当時はどんな分野に興味があったのですか。
臼田 やはり、オートバイや自動車といった機械系ですね。その一方で、就職なんかを意識したときに、「果たして機械文明は人間を幸せにするのだろうか。害を撒き散らすだけなんじゃないか」というようなある種の「中二病」的な考えに至ったりして。
茜 科学と社会の関係で思い悩むなんて、立派じゃないですか。
臼田 確かに「社会課題系」の仕事を意識しました。今だったら、たとえば再生エネルギー系のスタートアップなんかも候補にあがったかもしれませんね。色々な選択肢を残しておきたいと思いながら新日鉄(新日本製鐵株式会社。現在の日本製鉄株式会社)に入って、その後、もう少し基本的なことをやりたいと考えて当時の通産省に研究者として入りました。
茜 工業技術院計量研究所に入られて。当時から計量標準に興味があったのですか?
臼田 大学院の時に精密計測をやっていましたから、「自分のやってきたことなんて、筑波の研究所ならば朝飯前で測っているんだろうな」なんて思っていました。でも当時は「計量標準とは何か」というのを深くは理解していなかったですね。
茜 ご専門はどんな研究だったのですか。
臼田 振動を測るというのを20年ぐらいやっていました。成果は自動車の安全性評価などに使ってもらったんですよ。
茜 まさに社会に役立つ研究をされていたんですね。 その後、どんな過程で計量標準に深く関わっていったのですか。
臼田 計量標準っていうものの本質を、だんだん理解してきたんだと思います。たとえば、このメダルはフランスでメートル法の公布を記念して配られたもののレプリカなんですが、女神がメートルの象徴の物差しとキログラムの象徴の分銅を持っています。そして裏返すと......。
茜 地球の上に天使がいて、天使は手に何かを持っていますね。