コラム

有名大学教授でありながら警察官になったリベラル女性が描く「警察の素顔」

2021年02月20日(土)13時20分

ボランティアとはいえ、通常の警官と同じように拳銃を携帯するし、逮捕することもできる。採用されるためには、ポリスアカデミーでトレーニングをしなければならない。

拳銃でターゲットを撃ち抜くテストにもなんとかパスして卒業したブルックスがパトロール警官として配置されたのは、首都ワシントンの7-D地区だった。そこは、黒人の人口が最も集中している場所であり、貧困と犯罪件数が多いことでも知られている区域だ。

トレーニング中にブルックスが何度も教え込まれたのは、(日本の110番に匹敵する)911の緊急電話で現場の状況を正しく予測することは不可能だということだ。たいしたことがないと思って行ったら罠だったこともある。

ゆえに、警察官は緊急電話の内容がどのようであれ、最悪の場合を想定して心身ともに身構えていなければならない。彼らは、すべての呼び出しが潜在的に危険であり、「君たちには、生きて家に戻る権利がある」と自分の安全と生命を優先するよう教え込まれる。

ブルックスのポリスアカデミーでの体験と新米パトロール警官として扱ったケースの話は、短編集のようで純粋に読むのが面白い。セクシャルハラスメントむき出しの問題教官はいるし、それをかばおうとする者もいる。でも、それに批判的な者も存在する。それは、他の場所でも同じだろう。

リベラル急進派の母親

これまで何をやっても優等生だったブルックスが、警官としてはかなり不器用で、「最良のときでも『まあまあ』のレベル」と自覚しているところは愉快だった。ほかの警官には見えている重要なことが彼女にはまったく見えておらず、不要なことにばかり気づくのだ。だから誰がパートナーになるかは重要だ。

あるとき、持ち主が不在の家で防犯ホームセキュリティアラームが鳴って駆けつけたら玄関の扉が開いていて、中の暗闇に人影があった。別の日にブルックスが同行したような過剰反応するパートナーだったら、まず銃を撃ってから状況を考え始めたかもしれない。幸いなことに、この日の彼女のパートナーは冷静沈着に行動できるタイプだった。そこで、結果的に笑い話で終わった。この体験は彼女に大きな学びを与えた。

この本からは、ブルックスが警官としての仕事を楽しんでいることが伝わってくる。むしろ彼女が苦労したのは、警察に批判的なリベラルの友人と家族への説明だ。特に、ブルックスの母親の警察への嫌悪感は強烈で、警察はすべて敵というスタンスだ。なにせ、ブルックスの母親はかのバーバラ・エーレンライクなのだ。

バーバラ・エーレンライクは、80年代から90年代にかけてアメリカ民主社会主義の中心的存在だった。ウエイトレスやホテルの掃除婦、ウォルマートの店員など低賃金の職を3カ月自ら体験して書いた『ニッケル・アンド・ダイムド - アメリカ下流社会の現実』は世界的に有名になり、現在でも政治的にリベラル左派の急進派である「プログレッシブ」の活動家としてツイッターのフォロワーが7万4000人もいる有名人だ。

アメリカのNetflixで近藤麻理恵さんブームが起こった2019年に「我々のお片付けのグルであるマリエ・コンドーが英語を話せるようになって初めて私はアメリカが衰退の道をたどっていないと認める」という嫌味なツイートをして炎上したこともある。母としてのエーレンライクの極端な決めつけ発言の数々を読むと、ブルックスが警察官になりたくなった気持ちが少しわかるような気がする。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

イスラエルがイラン再攻撃計画か、トランプ氏に説明へ

ワールド

プーチン氏のウクライナ占領目標は不変、米情報機関が

ビジネス

マスク氏資産、初の7000億ドル超え 巨額報酬認め

ワールド

米、3カ国高官会談を提案 ゼレンスキー氏「成果あれ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 2
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦い」...ドラマ化に漕ぎ着けるための「2つの秘策」とは?
  • 3
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリーズが直面した「思いがけない批判」とは?
  • 4
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 5
    「何度でも見ちゃう...」ビリー・アイリッシュ、自身…
  • 6
    70%の大学生が「孤独」、問題は高齢者より深刻...物…
  • 7
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 8
    中国最強空母「福建」の台湾海峡通過は、第一列島線…
  • 9
    ロシア、北朝鮮兵への報酬「不払い」疑惑...金正恩が…
  • 10
    週に一度のブリッジで腰痛を回避できる...椎間板を蘇…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 5
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 6
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 7
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 8
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 9
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 10
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 8
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 9
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story