コラム

英語圏ではわかりにくい『コンビニ人間』の日本的背景

2018年07月19日(木)16時00分

日本社会の閉塞感をアメリカ人読者が理解するためにはもっと心理描写が必要になる Yuya Shino-REUTERS

<日本のベストセラーとして注目されていた『コンビニ人間』だが、先月アメリカで刊行された英訳版の売れ行きは今一つ。社会からの疎外感といった日本の社会背景が伝わりきらないようだ>

日本で65万部以上売れたホットな本として注目されていた村田沙耶香著の『コンビニ人間』は2017年秋に独立系出版社のGlobe Atlanticが英語での版権を獲得し、アメリカで今年6月12日に『Convenience Store Woman』というタイトルで刊行された。翻訳は日本在住のベテラン翻訳家、竹森ジニー氏である。

アメリカの出版界で重視されている業界紙 Publishers Weekly の書評で「星(starred)」評価を受け、アマゾンは その月のお薦め本である「Best Book of the Month 」に選んだ。ニューヨーク・タイムズ紙には著者を紹介する記事が掲載され、NPR、ニューヨーカー、バズフィード、ハーバード大学新聞のハーバード・クリムゾンといった主要なメディアが好意的な書評を載せ、ファッション雑誌の ELLE や Vogue も夏の推薦読書のひとつに選んだ。

また、図書館員やアマチュア書評ブロガーなどには、新刊紹介サイトNetGalley を通じて電子書籍版のARC(ガリ版)を提供しているし、多くの公共図書館が紙媒体に加えて電子書籍版とオーディオブックのライセンスを購入している。

こういった前評判やマーケティングの努力からは、『コンビニ人間』の英語版『Convenience Store Woman』がベストセラーになるのは当然のことに思われた。だが、発売から1カ月たった7月17日現在、『Convenience Store Woman』はアマゾンのハードカバーランキングで4261位、有料キンドル版で7800位とベストセラーには程遠い位置にある。

同じ6月に発売された文芸小説カテゴリのアマゾン Best Book of the Month と比較するともっとわかりやすいかもしれない。ベストセラーになって映画化された『プラダを着た悪魔』の続編である『When Life Gives You Lululemons』が、ハードカバー100位で有料キンドル版78位というのは知名度という点で納得できるかもしれない。

だが、無名の新人であるネイティブ・アメリカン作家トミー・オレンジによるデビュー作『There There』はハードカバー167位、有料キンドル版354位で、同じく無名の新人のインド系アメリカ人作家ファティマ・ファフィーン・ミルザのデビュー作『A Place For Us』はハードカバー534位で有料キンドル版542位だ。ミルザの作品は Publishers Weekly から星評価すら受けていない。

アマゾンや書評サイト Goodreads でのレビューを見ると、この売れ行きの差が見えてくる。『There There』は2800人が平均4.27の評価、『A Place For Us』は2500人が平均4.25の評価を与えているのに、『Convenience Store Woman』の場合は1800人が平均3.72の評価と低い。

なぜ英語版の『コンビニ人間』は日本ほど爆発的に売れていないのだろうか?

読者のレビューは決して悪くない。「ひどい作品だ」とけなしているものはないし、アマゾンでも Goodreads でも星1つの評価はほぼゼロだ。だが、上記の新人作家の2作とは異なり、最も多い評価は星5つではなく、星4つ(実際は3.5と記している人が目立つ)なのだ。つまり、英語圏の読者に「ものすごく好き」あるいは「ものすごく嫌い」という強い感情を与えない作品なのである。情熱的に好きな人がいないと口コミで広まらない。英語版の『コンビニ人間』の売れ行きが悪い理由はそこにあるのかもしれない。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国は戦時文書を「歪曲」、台湾に圧力と米国在台湾協

ビジネス

エヌビディアが独禁法違反、中国当局が指摘 調査継続

ビジネス

無秩序な価格競争抑制し旧式設備の秩序ある撤廃を、習

ワールド

米中閣僚協議2日目、TikTok巡り協議継続 安保
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる」飲み物はどれ?
  • 3
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人に共通する特徴とは?
  • 4
    腹斜筋が「発火する」自重トレーニングとは?...硬く…
  • 5
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 6
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 7
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 8
    【動画あり】火星に古代生命が存在していた!? NAS…
  • 9
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 10
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベー…
  • 1
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 2
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 3
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 4
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 5
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 6
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 7
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    埼玉県川口市で取材した『おどろきの「クルド人問題…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 10
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story