最新記事

家族

「おじいちゃん、明日までもたない」手話で伝える僕の指先を母はじっと見つめていた

2020年11月6日(金)17時00分
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

問題を抱えた家族関係は実はどこにでもある LittleBee80/iStock.

<「ふつうじゃない」家族に苦悩した著者が、家族との関係を見直した数日間>

聴覚障害者の両親、元ヤクザの祖父、ある宗教を熱心に信仰する祖母......。そんな「ややこしさ」を抱える家族で育ったライター五十嵐大氏が、家族との関係を見つめ直した数日間を描いた新著『しくじり家族』(五十嵐大 著、CCCメディアハウス)。一見、特殊に思える家族の事情から、大なり小なり実はどこにでもある、「しくじった」家族関係を再構築するヒントが見えてくる。『しくじり家族』の一部を抜粋して掲載する、今回はその第2回。

<『しくじり家族』抜粋第1回:「ふつうじゃない」家族に生まれた僕は、いつしか「ふつう」を擬態するようになっていた

◇ ◇ ◇

■Chapter 1 祖父の危篤

故郷、仙台

仙台駅に到着すると、一目散に駅前のタクシープールへと向かった。駅構内を出ると、湿度を含んだじめっとした空気がまとわりついてくる。

久しぶりの帰省。駅前の風景もだいぶ変わっていた。けれど、感傷に浸っている暇はなかった。

すぐにタクシーに乗り込み、祖父が運ばれた病院名を告げる。普段ならばもう閉まっている時間だ。運転手はなにかを察したのか、無言で車を発進させた。

一息つく余裕もなく、佐知子に電話をかけた。コールするとすぐに「大ちゃん」と佐知子の声がした。

「仙台着いたから、いまからそっちに向かうよ。あと十五分くらいだと思う」
「わかった。病院に着いたら電話ちょうだい」

最後に祖父に会ったのはいつだっただろうか。

静かな車内で懸命に記憶を手繰り寄せてみても、思い出せない。まれにふらっと帰省しても、ほとんど会話しなかった。

若い頃はテレビの前で野球中継を見ながらビールをあおっていた祖父も、自室で寝てばかりいるようになっていた。すでに残されていた時間は少なかったのかもしれない。でも、ぼくはそんな祖父のことを見ようともせず、なんとなく大丈夫だろうと思っていたのだ。

いや、無理やりそう思い込もうとしていたのかもしれない。現実を直視するのが怖くて、億劫で、知らないフリをしていたのだ。その結果、最後に会話を交わした記憶も曖昧なまま、祖父は危篤になってしまった。

けれど、驚くほど冷静だった。
後悔の念すらない。

いまぼくが置かれている状況は、一般的に「哀しい」と形容されるものだろう。それなのに、どこを探してみてもそんな感情が見当たらない。淡々と事務作業を処理するような気持ちで、ぼくは病院へと向かっていた。

病院の正門は閉まっているので、運転手にお願いして裏口につけてもらった。降りると、佐知子が煙草を吸って待っていた。

「さっちゃん」

ぼくの姿を認めると、佐知子は咥え煙草のまま手を振った。
いつもは髪の毛をひとつにまとめているのに、今日は下ろしている。傷んだ毛先が赤茶けている。

「大ちゃん、しばらくぶり」
「うん、久しぶり」
「元気にやってた?」
「うん。それより、病室は?」
「まず一服したらいいさ」

こんなときなのに、佐知子はどこか呑気な様子だった。
促されるまま、ぼくも煙草を咥える。佐知子と並んで煙を深く吸うと、なんのためにここまで来たのか忘れてしまいそうだ。佐知子はぼんやりと遠くを見つめていた。視線の先には暗闇しかない。

「あのさ、おじいちゃんって大丈夫なの......?」

ぼくが投げかける質問に、佐知子はゆっくり間を置いてから答えた。

「もういまさら焦っても、仕方ないでしょ」

実の父親が死の淵にいる。佐知子の胸中は複雑だっただろう。それでも、ぼくがここにやって来るまでの間に、彼女はすべてを飲み込んだかのように見えた。化粧っ気のない横顔に、ほんの少しだけ疲労が浮かんでいた。

ふたりでゆっくり一服した後、ぼくは佐知子に続いて病院に足を踏み入れた。ナースステーションの前を通りかかると、看護師と目が合った。「甥っ子が帰ってきてくれたんですよ」と、佐知子が看護師に説明する。眉尻を下げて微笑む看護師に対し、ぼくはなにも言うことができず、ただ会釈するしかなかった。

夜の病院内は薄ら寒かった。虫の声が聞こえてくるほど静かで、薄暗い廊下のところどころで非常灯だけが光っている。こんな時間に病院にいることが初めてで、徐々に鼓動が速まるのを感じた。

ぼくの緊張なんて我関せず、という態度で、佐知子は暗い廊下をぐんぐん進んでいく。廊下の突き当たりにある階段を三階まで上がり、またしても廊下を進むと、明かりが漏れている個室が見えてきた。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

米ウクライナ首脳、日本時間29日未明に会談 和平巡

ワールド

訂正-カナダ首相、対ウクライナ25億加ドル追加支援

ワールド

ナイジェリア空爆、クリスマスの実行指示とトランプ氏

ビジネス

中国工業部門利益、1年ぶり大幅減 11月13.1%
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指すのは、真田広之とは「別の道」【独占インタビュー】
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    【世界を変える「透視」技術】数学の天才が開発...癌…
  • 5
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 6
    【銘柄】子会社が起訴された東京エレクトロン...それ…
  • 7
    中国、米艦攻撃ミサイル能力を強化 米本土と日本が…
  • 8
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 9
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 10
    なぜ筋肉を鍛えても速くならないのか?...スピードの…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 6
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 7
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 6
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 10
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中