たった13坪で1300冊を売る町の書店──元シンクロ日本代表と恩師・井村雅代コーチの物語

2025年6月13日(金)15時21分
川内 イオ (フリーライター) *PRESIDENT Onlineからの転載

死を考える日々

きっかけは、感覚のズレ。例えば、男女平等は当たり前で、女性にも教育や子育てをしながら仕事ができる環境が必要だと考える二村さんに対して、「なんで働きたいの?」「女の子はいい人と結婚するのが一番の幸せ」という夫。

こうした価値観の違いによって徐々に大きくなっていたひずみが決定的な断絶になったのが、結婚13年目。夫の裏切りが発覚してショックを受けた二村さんは、心を患う。


「私はシンクロしかしてなくて恋愛経験もなかったから、自分にそんなことが起こると思ってなかったんです。そのストレスが原因で、パニック障害になってしまって」

1994年、娘を連れて家を出た二村さんは、12歳の娘とふたり、小さなマンションで怯えるように小さくなって暮らし始めた。ふとした瞬間に「なんでこんなことになったんかな......」とつらい記憶が蘇り、涙が溢れる。ご飯を食べても消化不良になってしまい、体重は30キロ台にまで減った。

地下鉄に乗ると、動悸が激しくなり、冷や汗が出てきて気が遠くなる。美容院に行くのも、銀行に入るのも怖くなった。ご飯の時間は実家で家族と過ごしたが、頭のなかでは「死にたい」という言葉がこだましていた。二村さんは、当時の心境について、自身のnoteにこう記す。

「信号待ちの時に、今、飛び込めば死ねる。と思ったことも何度もあった。恥ずかしながら、自傷行為に及んだ時もあった」。

げっそりとやつれた二村さんが唯一、心身の不調を感じることなく過ごせたのが隆祥館書店だった。娘の小学校卒業を区切りに大阪市内に戻り、1995年から父母のもとで働き始めた。

隆祥館書店は、二村さんが安らげる唯一の場所だった 筆者撮影

隆祥館書店は、二村さんが安らげる唯一の場所だった 筆者撮影

一冊の本に救われて

日常的に読書はするものの、そこまで本に強い思い入れを持っていなかった二村さんだが、この時期、小説からノンフィクションまで読み漁った。本を読んでいる時間は、現実から目をそらすことができたのだ。

この頃に出会ったのが、星野富弘さんの『愛、深き淵より。』。

中学校の体育の教師だった星野さんは、鉄棒で模範演技をした際、着地に失敗して頸椎を損傷。首から下が動かなくなるという重度の障害を負う。絶望の淵に追いやられた星野さんは、自分を鼓舞するように口に筆を加えて絵を描き始めた。その苦境と奮闘が描かれた『愛、深き淵より。』を読んだ二村さんの胸の内に、微かな火が灯る。

「自分の甘えに気づかされてね。死にたいと思ってるけど、そんなこと考えたらあかんな、やっぱり生きなあかんって思ったんです」

「一冊の本に救われた」。その実感は、二村さんをさらに読書に駆り立てた。読めば読むほど、「すごくいい!」と心動かされる本に出会い、本の魅力を再発見する日々だった。

その静かな興奮が伝わるのか、お店の店頭に立っていると、お客さんから「なにかお勧めの本、ない?」と聞かれるようになった。最初は、私のお勧めでいいの? と戸惑っていたものの、自分が読んだ本の感動や面白さを共有したいという思いが勝り、熱心に本を紹介するようになった。

その様子は、接客している書店員というより、「推し本」を熱く語るひとりの読書好きだった。

にこやかに接客する二村さん 筆者撮影

にこやかに接客する二村さん 筆者撮影

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

高市首相が米国へ出発、「我が国の立場踏まえしっかり

ビジネス

米2月PPI、前月比+0.7%に加速 サービスが押

ビジネス

EUが新興企業育成支援案、最短48時間・100ユー

ワールド

米ビザ保証金、12カ国追加 対象50カ国に拡大
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:イラン革命防衛隊
特集:イラン革命防衛隊
2026年3月24日号(3/17発売)

イスラム神権国家を裏からコントロールする謎の軍隊の歴史と知られざる実力

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が発生し既に死者も、感染源は「ナイトクラブ」
  • 2
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期スペイン女王は空軍で訓練中、問われる「軍を知る君主」
  • 3
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 4
    【衛星画像】イラン情勢緊迫、米強襲揚陸艦「トリポ…
  • 5
    住宅建設予定地に眠っていた「大量の埋蔵金」...現在…
  • 6
    モジタバの最高指導者就任は国民への「最大の侮辱」.…
  • 7
    「ネタニヤフの指が6本」はなぜ死亡説につながったの…
  • 8
    ガソリン価格はどこまで上がるのか? 専門家が語る…
  • 9
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
  • 10
    「危険な距離まで...」豪ヘリに中国海軍ヘリが異常接…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」と言われる外国特派員の私が思うこと
  • 3
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製をモデルにした米国製ドローンを投入
  • 4
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 5
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期ス…
  • 6
    「このままよりはマシだ」――なぜイランで米軍の攻撃…
  • 7
    職業別の収入に大変動......タクシー運転手・自動車…
  • 8
    ズボンを穿き忘れてる! 米セレブ、下を穿かず「目の…
  • 9
    世界の視線は中東から日本へ...企業主導で築くインド…
  • 10
    住宅建設予定地に眠っていた「大量の埋蔵金」...現在…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 3
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 4
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 5
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 6
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」…
  • 7
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 8
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
  • 9
    命は長し、働け女たち――88歳「働くばあさん」が説く…
  • 10
    「水道水」が筋トレの成果を左右する...私たちの体に…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中