コラム

イラン・イラク戦争から40年、湾岸危機から30年:イラン革命以降、いまだに見えない湾岸地域の到達点

2020年07月31日(金)15時20分

イラン革命が湾岸地域に大変動を引き起こした(写真はイラクとの戦争を鼓舞するイランの壁画) Yannis Behrakis-REUTERS

<アメリカだけでなく湾岸地域の全ての当事国が、長期的なビジョンを描けないまま迷走を続けている>

2020年は、中東のいろいろな出来事の「〇〇周年」だ。

ちょうど一世紀前は、第一次世界大戦が終わって、ヴェルサイユ条約の発効や国際連盟の発足など、戦後処理にまつわるさまざまなことが起きた年だから、第一次世界大戦を契機に英仏の間接植民地統治を受けることになった中東でも、各地で動乱が起きた。建国前夜のイラクで起きた反英暴動(1920年暴動)はその一例で、暴動100周年を記念して各地でいろいろなイベントが予定されていた。新型コロナウィルスの感染拡大で、どれも軒並みキャンセルである。

もっと近いところだと、イラン・イラク戦争勃発から40年、というのがある。1980年9月(開始日については両国で意見が食い違っている)、前年のイラン革命の飛び火を恐れたフセイン政権下のイラクと、革命の混乱の最中にあったイランが、国境を巡る衝突を本格化させた。

イラン・イラク戦争については、開戦40周年というよりも、最近起きた別の事件で改めて蘇らされた記憶がある。2020年7月23日、テヘランからベイルートへと向かうイランの民間旅客機が、シリア上空で米軍機に異様に接近され、慌てて高度を下げたことで乗客に怪我人が出た、という事件だ。今年初めからのイラン・米間の緊張のなかで、すわ米軍による攻撃か、と震えあがるのは当然だが、震えあがったのは、それを杞憂とは思わせない事件が過去にイランと米軍の間に起きていたからである。1988年7月3日、イラン・イラク戦争も末期、テヘランからドバイに向けて航行中のイラン航空655便が米軍の地対空ミサイルによって撃墜されて、木っ端みじんになった。機体は完全に破壊、290人の乗客・乗組員全員の命が失われた。

この衝撃的な事件に対して、米軍は「誤射」だったと釈明した。だが、にわかに信じられるものではない。当時はイランとイラクが戦火を交わすなか、アメリカはイラク側についてイランに停戦を求めていたものの、米軍が直接手を下せる状況ではなかった。誰しもが、米軍は「誤射」のふりをしてイラン側に譲歩を迫ったのだ、と理解した。これ以上、停戦要求を飲まなければ、米軍が乗り出すぞ、と。そのメッセージはしっかりイラン政府側に伝わり、その半月後には長年拒否し続けてきた国連による停戦決議を受諾したのである。ホメイニー師の、「受諾は毒を飲むより辛い」という、名言を残して。

読み違いのなかで始まったイラン・イラク戦争

「〇〇周年」で、最も思い起こされるのは、1990年に発生した「湾岸危機」だろう。8月2日、イラク軍がクウェートに軍事侵攻し、その後占領、併合へと発展したため、翌1991年1月に湾岸戦争が起きた。今年は、湾岸危機発生から30年に当たる。

イラン・イラク戦争にせよ、湾岸危機にせよ、振り返れば、いかにその時代に問題とされていたことが今になって再び噴出しているか、のデジャブ感を、つくづく感じざるを得ない。40年前に築き上げた湾岸地域の虚構が、30年前に破綻したのに、気が付けば今もまだ、破綻したまますべての問題が残されている。

中東、特に湾岸地域が現在抱えている安全保障上の問題は、イラン・イラク戦争と湾岸戦争の原因と遺恨を、きちんと解決しないままに放置したがゆえのものである。それは、1979年のイラン革命によって成立したイラン・イスラーム共和制政権とどう向き合うか、と課題に端を発するともいえよう。なによりもイラン革命という域内の大変動に対して、多くの国がきちんと先を読めず、先を見通す青写真をもっていなかった。

イラン・イラク戦争も、湾岸危機も、すべての関与する国々が数えきれない読み違いばかりをするなかで、始まった。イラン・イラク戦争は、イラクの当時のフセイン大統領が、アメリカや湾岸アラブ諸国の、イランのイスラーム政権は認めがたい、という空気を読み取って、国際的に孤立したイランに軍事攻撃を行うことで始まったものである。このとき、革命後の混乱に乗じての攻撃なら、短期で決着をつけられるに違いない、とイラク側は予想したが、それ自体が大きな目算違いだった。

<関連記事:アラブ世界とBLM運動:内なる差別を反差別の連帯に変えられるか

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国の検閲当局、不動産市場の「悲観論」投稿取り締ま

ワールド

豪のSNS年齢制限、ユーチューブも「順守」表明

ビジネス

米ネットフリックス、WBDとの事業統合で消費者に恩

ビジネス

インド通貨ルピーが史上最安値更新、1ドル90ルピー
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    大気質指数200超え!テヘランのスモッグは「殺人レベル」、最悪の環境危機の原因とは?
  • 2
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇気」
  • 3
    トランプ支持率がさらに低迷、保守地盤でも民主党が猛追
  • 4
    コンセントが足りない!...パナソニックが「四隅配置…
  • 5
    若者から中高年まで ── 韓国を襲う「自殺の連鎖」が止…
  • 6
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙す…
  • 7
    海底ケーブルを守れ──NATOが導入する新型水中ドロー…
  • 8
    「世界一幸せな国」フィンランドの今...ノキアの携帯…
  • 9
    22歳女教師、13歳の生徒に「わいせつコンテンツ」送…
  • 10
    もう無茶苦茶...トランプ政権下で行われた「シャーロ…
  • 1
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで墜落事故、浮き彫りになるインド空軍の課題
  • 2
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 3
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファール勢ぞろい ウクライナ空軍は戦闘機の「見本市」状態
  • 4
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体…
  • 5
    【クイズ】次のうち、マウスウォッシュと同じ効果の…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    128人死亡、200人以上行方不明...香港最悪の火災現場…
  • 8
    【寝耳に水】ヘンリー王子&メーガン妃が「大焦り」…
  • 9
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 10
    【クイズ】世界遺産が「最も多い国」はどこ?
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 4
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 7
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 8
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 9
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story