コラム

イラン・イラク戦争から40年、湾岸危機から30年:イラン革命以降、いまだに見えない湾岸地域の到達点

2020年07月31日(金)15時20分

周辺のアラブ産油国もアメリカも、戦争が8年も長引くとは思わなかったので、やむなくイラク側への協力、関与を深めざるを得なくなった。長年対立してきたイラクとアメリカが、「イラン憎し」一点で手を結んだのが1984年の米・イラク間国交回復だったのだが、イラン・イラク戦争が終わったころには、アメリカは、日本やフランス、ドイツなどそれまでの主要交易国を抑えて、イラクの最大の交易相手国となっていた。湾岸産油国は、イラクがイランに負けたらたいへんだ、との危機感だけでイラクを支援し、総額500億ドル近いカネを投入し続けた。

このつぎ込んだカネが、無償援助だったのか借金だったのかでもめ始めたのが、イラン・イラク戦争が終わってからである。それは貸しただけだ、返せ、と最初にいったのがクウェートだった。長引く戦争の過程で、イランと戦っているのは湾岸アラブ諸国とアメリカの権益をイランの脅威から守るためだ、と自己正当化していたイラクにしてみれば、守ってやったのに今更何を、という気分だっただろう。

同じ時期クウェートでは、域内大国に唯々諾々とするのではなく、独自の政治展開を目指すような傾向が見られた。それは、いきなり借金だから返せと言われてむっときていたイラクだけでなく、サウディアラビアの神経をも逆なでするような態度だった。1990年2月にクウェートで開催された湾岸サッカー大会(ガルフ・カップ)に、サウディアラビアは直前で出場を取りやめたのだが、それはかつてクウェートがサウディのイフワーン軍団の進軍を撃退して独立を維持した(1920年ジャフラの戦い)という史実を大会のシンボルに起用したため、それに不快感を示してのことだった。つまり、クウェートを挟むイラクとサウディアラビアという地域大国のいずれもが、クウェートが「頭に乗っている」と、多少なりとも感じていたのである。

そしてクウェートにとって決定的だったのが、石油価格調整からの逸脱だった。イラン・イラク戦争で資金をすっかり使い果たしたイラク、イランにとっては、石油収入を少しでも増やしたい、だから石油価格を上げたい。イラク、イランという域内大国の意向を一概に無視するわけにはいかないと、調整役のサウディアラビアも価格高めで了解する。その「空気」を堂々と無視したのが、クウェートとUAEだった。安値での売却を主張して、合意を破ったのである。イラクやサウディアラビアの再三の忠告で、UAEは折れた。だがクウェートは最後ぎりぎりまで、価格調整に抵抗したのである。

米イラクの「チキンゲーム」

こうして始まった湾岸危機もまた、関連する国々の間での目論見違いが原因で、事態が戦争に至るまでに深刻化したといってもよい。

まずはイラクである。その一。国際社会がこんなに早く反イラク包囲網で固められるとは思っていなかった。前述したように、サウディアラビアはクウェートに不快感を抱いていたので、イラクのクウェート侵攻に共感してくれるのでは、と期待していたふしがある。クウェートに侵攻したイラクは、ひたすらサウディアラビアに対して、サウディにまで侵攻するつもりはさらさらない、というメッセージを伝えているからである。さらには、クウェートをサウディとイラクの間で分割してはどうか、といった提案があったのでは、とまで憶測が流れた。イラク政府は歴史を紐解いて、いかにクウェートがもともとイラクのバスラ州の一部だったかを主張したが、前述したガルフ・カップでサウディが不快に思ったジャフラの戦いというのは、この戦いでサウディ側が勝っていればクウェートはサウディの一部になっていたかもしれないというものだ。

さらには、アメリカ、そして国際社会がここまで決定的な反イラク姿勢をとるとは、イラクが予想していなかったことだろう。クウェート侵攻直後から即座に国連の経済制裁が課され、侵攻をただの地域領土紛争程度に済ませたかったイラクの思惑と外れて、国連やアメリカが全面的に出張ってくる国際紛争の様相を呈してしまった。

そのアメリカも、イラクが戦争に至るまで折れないとは思わなかったかもしれない。冷戦後初めての国際紛争に、唯一の超大国としてのアメリカは、きっぱり手本を示さなければならなかった。だがイラク側は、従来通り、紛争を大きくして手を引くときは何等かの見返りを得る、といった交渉に固執した。全面譲歩はあり得ない。それこそチキンゲームのように、開戦ギリギリまで待ってクウェートから撤退すれば、アメリカの鼻をあかせるとでも考えていたのかもしれない。反対にアメリカは、そうはさせじと国連の武力行使期限が来ると早々に、クウェート駐留のイラク軍に猛攻を開始した。

<関連記事:アラブ世界とBLM運動:内なる差別を反差別の連帯に変えられるか

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

香港紙創業者に懲役20年、国安法裁判 国際社会は強

ワールド

仏中銀総裁、6月に前倒し退任 ECB理事会のハト派

ワールド

イラン原子力長官、ウラン濃縮度引き下げ検討も 制裁

ワールド

英首相、辞任要求にも続投示唆 任命問題で政権基盤揺
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:習近平独裁の未来
特集:習近平独裁の未来
2026年2月17日号(2/10発売)

軍ナンバー2の粛清は強権体制の揺らぎか、「スマート独裁」の強化の始まりか

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 2
    ビジネスクラスの乗客が「あり得ないマナー違反」...周囲を気にしない「迷惑行為」が撮影される
  • 3
    台湾発言、総選挙...高市首相は「イキリ」の連続で日本をどうしたいのか
  • 4
    【銘柄】「ソニーグループ」の株価が上がらない...業…
  • 5
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 6
    米戦闘機、空母エイブラハム・リンカーンに接近した…
  • 7
    「二度と見せるな」と大炎上...女性の「密着レギンス…
  • 8
    韓国映画『しあわせな選択』 ニューズウィーク日本…
  • 9
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 10
    がんの約4割は、日々の取り組みで「予防可能」...予…
  • 1
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 2
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた実験室」に...抗生物質の「不都合」な真実とは
  • 3
    がんの約4割は、日々の取り組みで「予防可能」...予防のために、絶対にしてはいけないこととは?
  • 4
    致死率は最大75%のニパウイルスが、世界規模で感染…
  • 5
    米戦闘機、空母エイブラハム・リンカーンに接近した…
  • 6
    グラフが示す「米国人のトランプ離れ」の実態...最新…
  • 7
    台湾発言、総選挙...高市首相は「イキリ」の連続で日…
  • 8
    エヌビディア「一強時代」がついに終焉?割って入っ…
  • 9
    「右足全体が食われた」...突如ビーチに現れたサメが…
  • 10
    高市首相の発言は正しかった...「対中圧力」と「揺れ…
  • 1
    【クイズ】致死率50~75%...インドで感染拡大「ニパウイルス」の感染源となる動物は?
  • 2
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 3
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」と「フリース」に移った日
  • 4
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡…
  • 5
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 6
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コング…
  • 7
    中国で大規模な金鉱脈の発見が相次ぐ...埋蔵量は世界…
  • 8
    【クイズ】韓国を抜いて1位に...世界で最も「出生率…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 10
    180万トンの「リチウムごみ」を資源に...EV電池の「…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story