コラム

なぜ今アメリカの一部で「中絶禁止」が勢い付いているのか

2019年05月21日(火)18時40分

アラバマ州の州議会前で「中絶禁止」法に反対する女性(今月19日) Michael Spooneybarger-REUTERS

<再選を目指して宗教保守派を取り込みたいトランプと、中絶を違憲にする「悲願」をトランプに託す保守派の人々>

妊娠中絶という問題は、社会においては積極的に語ることの少ない話題です。理由はともあれ、当事者には極めて重い選択ですし、また当事者以外には理解することが難しいからです。

ところが、世界の中でアメリカだけが例外となっています。福音派を中心とした、いわゆる宗教保守派の中には、「妊娠中絶を禁止したい」ということに極めて積極的なグループが存在するからです。

このグループの活動が活発化しています。例えば、アラバマ州では5月14日にあらゆる妊娠中絶を禁止し、行われた場合は女性と医師を厳罰に処すという法律が可決成立しています。しかも強姦被害や近親者による妊娠も「例外とせず」という厳格さです。ミズーリ州の場合はやや条件が緩和されていますが、同様の法律が可決の見込みです。

このグループにとって、問題は1973年に連邦最高裁が下した「ロー対ウェイド」判決です。この判決では、アメリカ合衆国憲法が女性による中絶の権利を保障しているという判断を下しました。これにより、人工妊娠中絶を規制したり禁止したりするアメリカ国内の各州州法は違憲となったのです。

彼ら中絶反対派の悲願は、この「ロー対ウェイド」判決をひっくり返すことでした。過激ともいうべき厳しい法律が通される背景には、反対派に告訴してもらって最高裁まで行き、そこで決着をつけたい、つまり中絶禁止法が反対派によって違憲だとして告発されることを、挑発したいという面があります。

非常に分かりにくい心理ですが、グローバリズムに遅れた南部や中西部の人間としては、グローバリズムに汚染された東北部や太平洋岸のリベラルな富裕層に対する屈折した憎悪があるのだと思われます。つまり胎児という「人命」をもてあそぶリベラルに対して、不道徳なだけでなく、殺人犯だという憎悪をぶつけて、自分たちのプライドを確保したいという心理が深層にはあると思われます。

つまり、この問題は南部や中西部の一部宗教保守派にとって、自分たちのカルチャーを投影したアイデンティティーの戦いに位置付けられてしまっているのです。

ではなぜ、今なのか、この2019年なのかということですが、そこでトランプ大統領の存在が大きく浮かび上がってきます。

ドナルド・トランプという人は、不倫によって2回離婚し、3回結婚しているとか、ミスコンテストを主催してきた、あるいはテレビの撮影時にオフレコとはいえ「卑猥」な発言を繰り返した人物です。欲望を金に変えるカジノ経営でも有名です。そんな人物は、本来であれば宗教福音派にとって「唾棄すべき存在」です。

ですが、そのトランプは「自分は中絶反対派で、大統領として順次中絶反対論者を連邦最高裁判事に送り込み、最終的には『ロー対ウェイド判例』をひっくり返す」と宣言してきました。その結果として、宗教保守派を味方につけることに成功しているのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米ウクライナ首脳、日本時間29日未明に会談 和平巡

ワールド

訂正-カナダ首相、対ウクライナ25億加ドル追加支援

ワールド

ナイジェリア空爆、クリスマスの実行指示とトランプ氏

ビジネス

中国工業部門利益、1年ぶり大幅減 11月13.1%
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と考える人が知らない事実
  • 3
    【銘柄】子会社が起訴された東京エレクトロン...それでも株価が下がらない理由と、1月に強い秘密
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 6
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 7
    「アニメである必要があった...」映画『この世界の片…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    2026年、トランプは最大の政治的試練に直面する
  • 10
    素粒子では「宇宙の根源」に迫れない...理論物理学者…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 6
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 7
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 10
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story