コラム

ニュージャージー州の教育長と教委のバトル、知事も介入して泥沼化?

2012年08月24日(金)09時31分

 ニュージャージー州のパース・アンボイという町は、ニューヨークの通勤圏であり、人口5万人という中規模の町です。基本的には中産階級の都市型の人口を抱えた住居地区と言って良いでしょう。この町で、騒動が持ち上がっています。ジャニーン・キャフリーという改革派の教育長と教育委員会の対立が激しくなり、教育長を解雇したい教委と、解雇は無効だという教育長の争いが法廷に持ち込まれているのです。

 アメリカの教育委員は公選制を取るところが多く、ちゃんと4年に1度とか2年に1度、全有権者の直接選挙で委員を選ぶのです。ちなみに、アメリカでは18歳で選挙権が発生するので、高校の最高学年になると「現役の高校生」が、その立場から「カリキュラムはこうすべき」だというような論戦を交わして特定の候補を支持したりするという光景も見られます。このパース・アンボイでも5名の委員は公選で選任されています。

 一方で教育長(スーパーインテンデント)というのは、腕利きの「教育のプロ」を教委がスカウトして委任するという形を取るのが普通です。人材としても、教委の方は町の有力者や社会運動家的な人、あるいは定年退職後の教員などがなる場合が多いのですが、教育長というのは、教育行政の専門家が採用されることになっています。ところで、教委や教育長というのは学区ごとですが、アメリカの公教育というのは学区ごとに独立採算になっています。

 教育長になるような教育行政の専門家というのは、教員から叩き上げるのではなく、大学で教育行政学を学び、通常は大学院で博士号も取り、その上で地方の教委職員、校長教頭から始まって、各教委の上級管理職になって行く、そんなキャリア・パスになっています。市町村教育長の上には、大都市圏の教育長、更には州の教育行政の幹部や、連邦の教育省などというルートがあるわけです。

 その一方で、通常は教委というのは教員や組合とは協調姿勢を取ることが多いのです。公選で選ばれる教委のメンバーは有権者である親(と生徒本人、一般市民)の意志が反映されるからですが、特に親としては、自分の子供の担任については「身分保障がされたほうが良い教育をしてもらえる」という投票行動をするのです。ですから、教委メンバーは通常は教員寄りです。

 パース・アンボイの教委も同じような性格を持っていました。ところが能力を見込んで採用した教育長のキャフリー氏が就任すると、教員の勤務評定に「成績向上という成果」を持ち込むとか、教員の終身雇用という聖域にメスを入れ「腐ったリンゴ(無能な教師)」を追放すると宣言。教員組合とも教委とも激しく対立しているのです。

 更に、改革派のクリスティ知事(共和党)がキャフリー教育長の支援に乗り出すと、小さな町の問題は、州レベルの政治問題にまで発展することになりました。ところで、この対立の背景には、韓国系アメリカ人で、有名な「教育改革論者」であるミッシェル・ルー氏の影響があるように思われます。

 黒人人口が圧倒的に多い、首都ワシントンDCの公立校システムの教育総監に就任した彼女は、子供の学力が全国平均と比較して低いのは教員の質と学校組織に問題があると主張。2007年から10年の3年間の在任中に、組織として崩壊した公立校を28校閉校にし、能力不足教員を450人も解雇しています。そのルー氏の運動は、基本的には共和党的なカルチャーに属するものですが超党派での支持を獲得し、オバマ大統領も注目しているという主旨の発言をするなど全国的に話題になったのです。

 この対立構図について言えば、日本の教育改革論議とは似ているようで違うところが興味深いと思われます。今現在の日本では、例えば大都市圏の公立校の場合に、まず生徒や親は教師に対して不信感を抱き、それ以上に「何もしない保身ばかりの」教委や教育長に反発を抱いているわけです。その一方で、教育問題を求心力に使う公選首長が、漠然と民意を獲得している格好になっており、そうした首長の主導する中で、世論の批判が教委と教育長に向かっているわけです。

 一方のアメリカでは、例えばこのパース・アンボイでの対立構図がそうであるように、まず教委は公選なので民意を反映しているということがあります。また現役の教師は「成績決定という絶対権力」を持っていることと、「各学年のプロとしてクラスマネジメントのスキルは持っている」こともあり、基本的には「全体として」生徒と親の教師に対する信頼はあるわけです。教師の「対生徒・対親のコミュニケーション能力」も、教員養成課程で訓練されていることもあり、大きく破綻をしているという例は少ないと思われます。組合に既得権を守られる一方で、改革派からは「腐ったリンゴ」だと批判される教員たちですが、最低限のレベルは維持しているのです。

 ですから、生徒や親が「能力不足教師をクビにしろ」などと主張することは多くはありません。勿論「ウチの子の担任にはベテランのA先生をお願いします」的な親の請願というのは、アメリカでもあるわけですが、そうした要求がエスカレートして大きなトラブルになることは、これも少ないのです。

 ですが、全国レベルの世論や政策論としての改革派の議論の中では「教育がこのままでは国際競争力が落ちるばかり」という危機感があります。また、貧困層の多い地区では、親の意識がそれほど高くないこともあって「教科の指導能力は落ちるが人格的にはいい先生」で満足しているケースが多く、そうした場合は「改革は上から」というスタイルになるという事情もあります。

 そんなわけで、このパース・アンボイでの問題もそうですが、アメリカの教育改革論議には、日本とは相当に異なった状況があるように思われます。ただ、1つ1つの制度、例えば学区ごとに教育費が独立採算になっていること、教委の公選制、教育長のプロ化、統一テストによる達成度水準チェックのしくみなどは参考になるのではないでしょうか。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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