コラム

スポーツ振興の将来は、あくまで公教育の場が軸であるべきでは?

2012年08月01日(水)20時06分

 五輪前半戦を見ていて思うのですが、水泳、体操、柔道などで日本は善戦していると思います。世界の最先端のレベルまで訓練された選手がいるということは、そのような選手を育てる指導者や組織が存在するということでもあります。金メダルだけでなく、銀であっても銅であっても、世界の何十万、何百万というその競技の競技者や指導者の中で、明らかに頂点のレベルに日本のスポーツ界は到達しているのだと思います。

 ですが、スポーツにおける今後の競争力維持あるいは向上ということを考えると、そこには相当の困難があるように思われます。まず、財政難の中で強化費用の捻出というのは難しくなって行くでしょう。民間のスポンサーシップも急に昔の規模まで復活するとは思えません。その一方で、少子化のために選手の裾野が狭くなっていく、つまり才能が出現する母体が少なくなっていくということがあるわけです。

 では、そうした中で、少なくとも「今の水準」を守ってゆくにはどのような振興策が必要なのでしょうか? そこで思い出されるのが、2009年の政権交代時に民主党と自民党が公約に掲げたスポーツ振興策の選択肢です。

 自民党は「国家戦略としてのスポーツ・文化芸術の振興」として「トップレベル競技者の育成・強化をする」とマニフェストで主張したのに対して、民主党は「小学校の校庭や公共スポーツ施設の芝生化事業を推進」とか「地域密着型の拠点づくり」といった、普通の市民のスポーツ活動に力を入れようと主張していました。

 トップレベルのためにカネを使うのか、あるいはそれを否定して普通の市民へのスポーツ普及を優先するのかというのは、興味深い「選択肢」だったわけです。ではそれが2011年に制定された「スポーツ基本法」などで明確になっているのかというと、そうではなく、この論争自体が曖昧になった格好です。

 では、改めてこの「選択肢」を問うべきなのでしょうか? 私は違うと思います。まず民主党の言う「芝生化」とか、「地域密着」というのは老朽化した市民スポーツ施設などのハコモノの建て替えや、メンテナンスだけで予算的には手一杯という話なのでしょうが、そっちを優先しているうちに、五輪レベルの競争力がなくなっても構わないというでは困ります。

 では、自民党の「トップレベル」優先戦略というのが正しいのかというと、こちらも違うと思います。現在までの日本代表の戦いを見ていると、現在の「トップレベル」というのは、特殊な育成プロセスを踏んできている、これは歴然としています。

 例えばトップスイマーの多くは、今は消滅した商社の名前を冠した名門スイミングスクール(SC)などの出身で、しかもそのスクールの経営権は学習塾チェーンが持っているという現実があります。また、体操のトップクラスの選手の場合は、民間の名門クラブで練習してきた人材が多く、例えば体操に割く時間を多くするために高校は通信制であったり、高校自体には運動の設備がない学校に通ったりしてきているわけです。

 私はそのこと自体が悪いと言っているのではありません。現在の環境下では、恐らくこうしたコースが最善だったのでしょうし、「SC」や「体操クラブ」には明らかに世界レベルの指導者が所属しているという現実があるのだと思います。自民党案は、恐らくはこうした民間団体の活動を前提に、全日本の強化費などに目を向けようというものと考えられます。

 ですが、先ほども申し上げたように、カネも母体も縮小する中ではこうした体制をこのまま続けていくのは難しいように思います。まず、青少年の教育というのは、公教育が担っているわけです。公教育におけるスポーツ活動を活性化し、優秀な指導者を学校現場に招聘し、必要な施設を整備するというのが最も効率的だと思います。

 具体的には、公立の中学や高校にトップレベルのアスリート養成の場を設けるのです。勿論、全ての学校に必要な設備を用意するのは不可能でしょう。ですから、市町村レベルよりは広域なゾーンを設定し、その中に例えば体操の拠点校なり、水泳の拠点校を設けるのです。水泳の場合は、四季を通じて練習可能な室内温水プールが必要ですから数は沢山は作れないでしょうが、とにかく公立学校にそうした設備を設けるのです。時間や曜日によっては、施設を地域に開放しても良いでしょう。

 指導者にしても、現在は民間のクラブなどに属して頑張っているわけですが、正規の高校や中学の教員という位置づけにすれば、はるかに身分も安定すると思います。現役の選手のキャリアパスにしても、必死になってスポンサーを探したり、引退後は芸能界で知名度を食い潰す必要もなく、各地域でそれぞれ後進の指導に情熱を持続させれば良いのです。

 彼等が、それぞれの地域の名士としてコミュニティへの精神的なメッセージを発信できるようになれば、素晴らしいと思います。それ以前の問題として、世界のレベルでストレスマネジメントやライバルとのコミュニケーション、チーム内でのリーダーシップなどを経験してきた人々が、教職員集団の中で活躍できれば、今現在問題になっている学校コミュニティで「社会性が教えられない」問題にも良い影響があると思われます。そのためにも、指導者にはちゃんと訓練をして、他のスポーツや基礎体力トレーニングなどの指導スキルも身につけてもらい、体育教師として正規の存在になってもらうべきです。

 勿論、現在の高校スポーツとして盛んな活動がされており、指導スキルをもった教員がいる部分は、そちらもキチンと評価する必要があるでしょう。ただし、熱中症対策もしないレベルの低い指導原理がまかり通るような部分は、改革の中で徹底的にウミを出すべきとも思います。

 勿論、相当な抵抗が予想されます。ですが、公立校の教育は形式的な卒業資格付与が中心であり、勉強もスポーツも「上」を目指すのなら塾なりSCに行ってもらう、文科省管轄の「学校」にはそうした機能を持たすことはできないというのは、おかしいと思います。それ以前に、これから厳しさを増す環境の中では壮大なムダだと思うのです。自民党案でも民主党案でもなく「スポーツ振興」はあくまで公教育の改革を軸に真剣に検討すべきです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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