コラム

世代間の溝、ドイツの「過去の克服」が掘り下げられる『コリーニ事件』

2020年06月11日(木)17時30分

たとえば、以前取り上げたジュリオ・リッチャレッリ監督の『顔のないヒトラーたち』。アウシュヴィッツ裁判を題材にするのであれば、それを主導した検事総長フリッツ・バウアーを主人公にしたくなるところだが、本作では、駆け出しの架空の検事ヨハンを主人公にしている。そのヨハンは、圧力に晒されながらも、バウアーに導かれるように地道な予備捜査をつづけ、真実を明らかにしていく。

法学者でもあるベルンハルト・シュリンクのベストセラー『朗読者』では、主人公ミヒャエルが、ナチス時代とそれに関する裁判を研究する教授のゼミに登録したことをきっかけに、バウアーとよく似た経歴を持つこの教授に導かれるように、過去と向き合っていくことになる。

さらに、もうひとつ思い出しておきたいのが、ラース・クラウメ監督の『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』の冒頭の部分だ。そこには、アイヒマン裁判についてのテレビの告知から抜き出されたバウアーの映像が挿入されている。彼が視聴者に語りかける言葉は、世代と深く関わっている。


「ドイツの若い世代なら可能なはずだ。過去の歴史と真実を知っても克服できる。しかしそれは、彼らの親世代には難しいことなのだ」

生々しく再現される世代間の溝

こうしたことを踏まえて本作を観ると、そこに世代が異なる人物の関係が盛り込まれていることがわかる。

法廷でカスパーが対峙する検察官席には、上席検察官の他に、かつてカスパーと親密な関係にあったヨハナ、そしてマイヤー家の公訴参加代理人であるリヒャルト・マッティンガーが座っている。そのマッティンガーは、カスパーが大学時代に刑法を教わった伝説的な刑事事件の弁護士であり、師弟ともいえるふたりは、裁判の舞台裏で駆け引きを繰り広げる。

マッティンガーは、被害者がハンスだと知ったカスパーが弁護人をおりようと考えているのを知り、「望んだ仕事なら弁護に徹しろ」と言って、彼の背中を押す。だが、裁判が進行するに従ってマッティンガーの態度が変化し、最終的には対決することになる。

その対決では、1968年に弁護士資格を取得したマッティンガーと今まさに弁護士として第一歩を踏み出しつつあるカスパーの出発点が巧妙に対置されている。彼らの対話には、かつてバウアーが指摘した世代間の溝が、2001年というより現在に近い時代を背景に生々しく再現されている。

過去の克服という不可能事への希求

そして、この裁判はカスパーにとって重要な通過儀礼にもなる。傍聴者もいない裁判前の手続きにローブを着用してきたカスパーは、判事や検察官の失笑を買う。しかし、裁判の過程で変貌を遂げていく。カスパーが2歳のときに家を出た父親との関係が思わぬかたちで復活する展開も興味深い。その変化は、沈黙していたコリーニが、カスパーの父親の話に反応して口を開いたことと無関係ではない。法学者としてのシュリンクは『過去の責任と現在の法 ドイツの場合』のなかで、過去の克服の意味を以下のように説明している。

oba020200611b.jpg

『過去の責任と現在の法 ドイツの場合』ベルンハルト・シュリンク 岩淵達治ほか訳(岩波書店、2005年)


「英語にもフランス語にもそれに相当するものがない過去の克服という概念がドイツでよく用いられるようになったという事実は、不可能事への希求を表している」

カスパーは、まさに不可能事を希求することで、マッティンガーとは違う道を進む弁護士として、自己を確立していくことになる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

マレーシアGDP、第3四半期速報は前年比+5.2%

ビジネス

英、財政バッファー拡大にはトレードオフ必要=財務相

ワールド

英MI5長官、AIの脅威に警鐘 プロパガンダや選挙

ワールド

ペルーで新大統領に抗議デモ、1人死亡 負傷者多数
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:日本人と参政党
特集:日本人と参政党
2025年10月21日号(10/15発売)

怒れる日本が生んだ「日本人ファースト」と参政党現象。その源泉にルポと神谷代表インタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本で外国人から生まれた子どもが過去最多に──人口減少を補うか
  • 2
    まるで『トップガン』...わずか10mの至近戦、東シナ海で「中国J-16」 vs 「ステルス機」
  • 3
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多い県」はどこ?
  • 4
    間取り図に「謎の空間」...封印されたスペースの正体…
  • 5
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 6
    【クイズ】サッカー男子日本代表...FIFAランキングの…
  • 7
    疲れたとき「心身ともにゆっくり休む」は逆効果?...…
  • 8
    フィリピンで相次ぐ大地震...日本ではあまり報道され…
  • 9
    ホワイトカラーの62%が「ブルーカラーに転職」を検討…
  • 10
    イーロン・マスク、新構想「Macrohard」でマイクロソ…
  • 1
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな飼い主との「イケイケなダンス」姿に涙と感動の声
  • 2
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以外の「2つの隠れた要因」が代謝を狂わせていた
  • 3
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 4
    中国人が便利な「調理済み食品」を嫌うトホホな理由…
  • 5
    まるで『トップガン』...わずか10mの至近戦、東シナ…
  • 6
    【クイズ】日本人が唯一「受賞していない」ノーベル…
  • 7
    ベゾス妻 vs C・ロナウド婚約者、バチバチ「指輪対決…
  • 8
    フィリピンで相次ぐ大地震...日本ではあまり報道され…
  • 9
    時代に逆行するトランプのエネルギー政策が、アメリ…
  • 10
    「中国のビットコイン女王」が英国で有罪...押収され…
  • 1
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 2
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ監督が明かすプレーオフ戦略、監督の意外な「日本的な一面」とは?
  • 3
    カミラ王妃のキャサリン妃への「いら立ち」が話題に...「少々、お控えくださって?」
  • 4
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 5
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 6
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 7
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外…
  • 8
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 9
    【クイズ】日本人が唯一「受賞していない」ノーベル…
  • 10
    数千円で買った中古PCが「宝箱」だった...起動して分…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story