コラム

「エホバの証人」信者からネオナチへ──ドイツ「報復」大量殺人の深層

2023年03月27日(月)13時55分

ネオナチへの転向

事件後の捜査で背景が少しずつ明らかになってきた。ドイツ公共放送によると、実行犯フィリップ・Fは1年半ほど前、エホバの証人を脱退した。自発的な脱退だったか、排除されたかなどについてエホバの証人から説明はなく、警察が把握しているかも不明である。

確実なことは、昨年12月にAmazonのセルフ出版で「ヒトラーはキリストの代理人」と主張する書籍が発行されていたことだ。この本でフィリップ・Fは反ユダヤ主義を掲げ、「神に代わって」大量殺人を行うことを正当化していた。

ナチズムとエホバの証人の間には深い因縁がある。1933年にドイツの実権を握ったヒトラーがユダヤ人や共産主義者を迫害したことはよく知られているが、エホバの証人もやはり弾圧されたからだ。

ドイツの歴史学者ヨハン・ローベルによると、2000人の信者が強制収容所に送られたという。これは当時、ドイツにいたエホバの証人の信者の10分の1に当たる。

エホバの証人の教義では武器を持つことが許されない。そのため、徴兵制が普及した近代以降、教義を優先させる信者と世俗の政府の間の対立は各国でみられたが、当時のドイツで徴兵拒否はヒトラーの権威の否定と同じで、そのために迫害されたのである(同様に現在のロシアでも過激思想として布教が禁じられている)。

ネオナチに転向したフィリップ・Fがエホバの証人に憎悪を募らせたことは、その意味では不思議でない。

過激思想は飾りか

もっとも、その極右イデオロギーがどこまで「本気」だったかは疑わしい。

エホバの証人脱退から問題の書籍のセルフ出版までが1年余りしか空いていなかったことを考えると、極めて短期間に乗り換えたことになる。

フィリップ・Fが「かぶれた」程度のネオナチだったとすれば、むしろメンタル面での不調が直接的なきっかけになった公算が高い。

事件後、ハンブルク警察は事前に市民から匿名で情報が寄せられていたことを明らかにした。そこではフィリップ・Fが精神的に不安定で、銃器を持たせる危険が警告されていた。

これを受けて警察官が容疑者を訪問し、所持の届出があったセミオートマティック拳銃を確認したものの、「危険はない」と判断してひきあげていた。

この対応が後に警察への批判を集めたのだが、ここでのポイントは、結果的には匿名情報の信ぴょう性がかなり高かったということだ。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

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