コラム

クライストチャーチ51人殺害犯の主張に見る「つけ込まれた陰謀論者」の悲哀

2021年11月12日(金)15時45分
NZテロ 献花

NZテロの直後NYイスラーム文化センター前に捧げられた献花(2019年3月15日) RASHID ABBASI-REUTERS


・NZクライストチャーチ銃撃テロで終身刑が科されたブレントン・タラントは「裁判で自分の権利が侵害された」と主張している。

・その最大の論点は「裁判官が自分の名前を呼ばなかった」というものである。

・今になって裁判の不当性を訴えるタラントには、「つけ込まれた陰謀論者」に特有の精神性や悲哀を見出せる。

ニュージーランド(NZ)のクライストチャーチでモスクを銃撃し、51人を殺害したとして裁判で終身刑が科されたブレントン・タラント受刑者は、今になって「裁判が不当だった」と言い始めた。

「自分の権利が侵害された」

2019年2月にクライストチャーチ事件を引き起こし、昨年3月に保釈のない終身刑が言い渡されたタラントは、11月8日に弁護士を通じて手記を発表し、そのなかで「裁判で自分が人間として扱われなかった」と主張した。

とりわけ強調されたのが、裁判官が公判のプロセスで一度もタラントを名前で呼ばず、「その個人(The individual)」と呼び続けたことだった。これが裁判の正当性を損なっただけでなく、人間として扱われず、個人としての権利が無視されたというのだ。

クライストチャーチ事件の直後、NZのアーダーン首相はタラントの名を呼ぶことを拒絶した。「彼はテロリストだ。犯罪者だ。過激派だ。しかし、私が呼ぶとき彼は『名無し(nameless)』だ......彼は名前を売りたがっているのかもしれない。しかし、NZは彼に何も与えない。名前さえも」。

アーダーン首相は「タラントの行為や言い分を一切認めない」という強い意志を示すと同時に、「タラントの名前が一人歩きして模倣犯を触発するのを防がなければならない」という考えを示したといえる。裁判官が名前を呼ばなかったことも、これを受けてのものだ。

これに抗議するタラントは、自分に対する扱いが重大な人権侵害だと主張しているのである。これに加えてタラントは手記のなかで、弁護士との接見が制限された、訴訟手続きについて事前にほとんど説明されなかった、などにも不満を呈しているという。

裁判の不当さは「罪を認めることが最も安易な道と彼に判断させた」と弁護士は説明しており、そのうえでタラントの名前を呼ばなかった裁判官は謝罪するべきとも主張した。地元メディアは来月タラントの弁護士と裁判官と会談する予定と報じている。

冤罪なのか

実際、裁判のプロセスで被告の名前を呼ばないことは、法的には問題があるだろう。少なくとも、かなり特殊であることは間違いない。また、NZ史上類をみない凶悪な犯罪であっただけに、その被告に対する扱いは通常より厳しかったかもしれない。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

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