コラム

クルド女性戦闘員「遺体侮辱」映像の衝撃──「殉教者」がクルド人とシリアにもたらすもの

2018年02月05日(月)19時52分

降伏を潔しとせず、最後まで戦い続けた後、敵兵によって遺体まで切り刻まれたコバニ氏は、クルド人社会において民族独立の「殉教者」として位置付けられるようになったといえます。

追い詰められるクルド人

ただし、シリアのクルド人たちを取り巻く状況は苦しいものになりつつあります。

先述のように、IS対策の一環として、欧米諸国はYPGなどクルド人勢力を支援してきましたが、YPGを「テロリスト」と位置づけ、これの掃討を目的とする「オリーブの枝」作戦を展開するだけでなく、コバニ氏の遺体を切り刻んだ民兵を支援するトルコもNATO加盟国です。1月28日にトルコ政府は、「米国政府が今後トルコ人勢力への武器供与を停止すると語った」と発表。これに関して米国は明確な声明を出していませんが、少なくとも米国が難しい判断に迫れていることは確かです。

米国にとって、ISやアルカイダ系組織を封じるために、あるいはイランやシリアの影響力をこの地域から削ぐために、シリア政府やイラン政府と対立するYPGは、格好のパートナー候補です。

一方、NATO加盟国であるトルコは、国内の人権侵害などをめぐって米国との関係が悪化し、ロシアやシリアに接近しています。この状況下、米国がトルコをつなぎとめることを優先するなら、クルド人勢力と「手を切る」ことも想定されます。現状でも既にクルド人勢力の間には米国の支援の不足に不満があります。もし米国がトルコとの関係を優先させれば、YPGはほぼ孤立無援になります。

米国にとっての「殉教者」

このように難しい判断を迫られている米国政府にとっても、今回の映像は無視できないインパクトを秘めています。

「#me too」が勢力を広げる米国世論において、コバニ氏がクルド人という「民族の殉教者」としてだけでなく「フェミニズムの殉教者」として位置付けられた場合、米国政府はクルド人勢力への支援を簡単にやめることはできなくなります。

その一方で、米国世論がこれに無関心だった場合、米国政府がトルコに傾いたとしても不思議ではありません。その場合、シリアのクルド人は欧米諸国に「使い捨てられる」ことになりかねません。

2月5日現在、各国メディアがこの問題を取り上げているなか、ニューヨークタイムズやワシントンポストなど主要な米国メディアは、奇妙なほどこの問題に静かです。例えトランプ政権と対決しあっていても、そこにはシリア政策をめぐる米国のデリケートな立場への忖度があるのかもしれません。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ハーバード大、留学生入国停止の即時差し止め要請

ビジネス

米為替報告、日銀の引き締め継続が「円安是正後押し」

ワールド

トランプ氏、マスク氏に「失望」 政府契約打ち切り示

ワールド

ガザでの急性栄養失調の幼児、一時停戦時の3倍の5.
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:韓国新大統領
特集:韓国新大統領
2025年6月10日号(6/ 3発売)

出直し大統領選を制する李在明。「政策なきポピュリスト」の多難な前途

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    猫に育てられたピットブルが「完全に猫化」...ネット騒然の「食パン座り」
  • 3
    日本の女子を追い込む、自分は「太り過ぎ」という歪んだ認知
  • 4
    壁に「巨大な穴」が...ペットカメラが記録した「犯行…
  • 5
    女性が愛馬に「後輩ペット」を紹介...亀を見た馬の「…
  • 6
    韓国新大統領にイ・ジェミョンが就任 初日の執務室で…
  • 7
    プールサイドで食事中の女性の背後...忍び寄る「恐ろ…
  • 8
    50歳を過ぎた女は「全員おばあさん」?...これこそが…
  • 9
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 10
    脳内スイッチを入れる「ドーパミン習慣」とは?...「…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊の瞬間を捉えた「恐怖の映像」に広がる波紋
  • 3
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシストの特徴...その見分け方とは?
  • 4
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 5
    ペットの居場所に服を置いたら「黄色い点々」がびっ…
  • 6
    3分ほどで死刑囚の胸が激しく上下し始め...日本人が…
  • 7
    ウクライナが「真珠湾攻撃」決行!ロシア国内に運び…
  • 8
    猫に育てられたピットブルが「完全に猫化」...ネット…
  • 9
    日本の女子を追い込む、自分は「太り過ぎ」という歪…
  • 10
    「ウクライナにもっと武器を」――「正気を失った」プ…
  • 1
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 2
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 6
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 7
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 8
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
  • 9
    ペットの居場所に服を置いたら「黄色い点々」がびっ…
  • 10
    3分ほどで死刑囚の胸が激しく上下し始め...日本人が…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story