コラム

「命のビザ」杉原千畝氏とユダヤ人少年が灯したロウソクの火を消すな

2019年08月15日(木)07時30分

その時、杉原氏は「このお金で映画に行きなさい。私が祭日のためのおじさんになってあげる」とガノール少年の小さな手に硬貨を握らせる。

ガノール少年はお礼に「もし僕のおじさんなら、今度の日曜日に僕の家で開くハヌカの集まりに来ませんか」と誘った。杉原夫妻は約束通り、家族や親族ら約30人が集うハヌカにやって来た。

その時、ガノール少年の家に身を寄せていたポーランド系ユダヤ人がナチスのユダヤ人弾圧について語りだし、泣き崩れた。杉原氏に日本行きのビザを発給してくれないかと頼んだ。日本はドイツと日独伊三国同盟を結んでおり、皆、馬鹿げた考えだと一蹴した。

日本行きのビザを取得するためには最終滞在国のビザと日本に一時滞在できる十分な資金を持っている証明が必要だ。

優秀な外交官だった杉原氏はナチスドイツやソ連の動向を探るため、休日には国境沿いに家族連れでピクニックに出掛けたり、ユダヤ人の家庭を訪れたりして情報を収集していた。ナチスの残虐行為についても把握していたようだとガノール少年は回想している。

杉原氏はガノール少年の父に「私があなたなら今、リトアニアでやっている商売のことは考えない」とすぐリトアニアを脱出するよう助言した。米国に住む親戚の勧めで米国行きのビザを取得していたものの、母が乗り気ではなく、渡米をためらっていたのだ。

失望に終わる希望

1940年6月、ドイツによるパリ陥落の翌日、ソ連軍がリトアニアに侵攻。裕福なユダヤ人や右翼、歴史修正主義者のシベリア送りが始まったものの、リトアニアにいたユダヤ人の大半はホッと胸をなでおろした。しかしリトアニアのパスポート(旅券)や米国行きのビザは無効になり、ガノール少年の家族は出国できなくなった。

ある日、ガノール少年の家にオランダ系ユダヤ人がやって来た。オランダのヤン・ツバルテンダイク領事(フィリップス社のリトアニア駐在員)からカリブ海に浮かぶオランダ領キュラソー島ならビザなしで行ける抜け道を教えられ、スタンプ(いわゆるキュラソービザ)を押してもらったというのだ。

7月下旬、キュラソービザがあれば何とかなるかもしれないと杉原氏はガノール少年らの目の前で誰かに電話した。そして本国の外務省が再三にわたって反対したにもかかわらず、日本通過ビザの発給を決断する。

杉原氏が電話した人物について、ガノール少年は「杉原氏の家で一度会ったことがあるロシア人で、ソ連の領事か大使だったかもしれない」と推測している。杉原ビザを取得したガノール少年の家族はカウナス駅に向かった。駅にはポーランド系ユダヤ人難民が殺到していた。

しかしリトアニアのパスポートを持っていた家族が逮捕されるのを目撃し、自宅に引き返す。リトアニアはもうソ連の一部だった。杉原氏は計2139家族に日本通過ビザを発給。9月初旬、国際列車でベルリンに向かう。

プロフィール

木村正人

在ロンドン国際ジャーナリスト
元産経新聞ロンドン支局長。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『欧州 絶望の現場を歩く―広がるBrexitの衝撃』(ウェッジ)、『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。
masakimu50@gmail.com
twitter.com/masakimu41

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、グリーンランド取得で武力行使を否定 ダ

ワールド

中国との包括的貿易協定の行方不透明─米USTR代表

ワールド

21日開催予定のG7財務相会合、来週に延期=フラン

ワールド

ECB総裁、米商務長官の欧州批判演説を途中退席 ダ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:「外国人問題」徹底研究
特集:「外国人問題」徹底研究
2026年1月27日号(1/20発売)

日本の「外国人問題」は事実か錯誤か? 7つの争点を国際比較で大激論

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    完全に「ホクロ」かと...医師も見逃した「皮膚がん」の写真がSNSで話題に、見分け方「ABCDEルール」とは?
  • 2
    韓国が「モンスター」ミサイルを実戦配備 北朝鮮の核開発にらみ軍事戦略を強化
  • 3
    ピラミッドよりも昔なのに...湖底で見つかった古代の船が明かす、古代の人々の「超技術」
  • 4
    ニュージーランドの深海に棲む、300年以上生きている…
  • 5
    飛行機よりラク? ソウル〜釜山「110分」へ――韓国が…
  • 6
    【総選挙予測:自民は圧勝せず】立憲・公明連合は投…
  • 7
    「怖すぎる...」モルディブで凶暴な魚の群れに「襲撃…
  • 8
    宇宙人の存在「開示」がもたらす金融黙示録──英中銀…
  • 9
    世界初で日本独自、南鳥島沖で始まるレアアース泥試…
  • 10
    トランプが宇宙人の実在を公表するのは「時間の問題…
  • 1
    上野公園「トイレ騒動」に見る、日本のトイレが「世界一危険」な理由
  • 2
    ピラミッドよりも昔なのに...湖底で見つかった古代の船が明かす、古代の人々の「超技術」
  • 3
    世界初で日本独自、南鳥島沖で始まるレアアース泥試掘の重要性 日本発の希少資源採取技術は他にも
  • 4
    【クイズ】韓国を抜いて1位に...世界で最も「出生率…
  • 5
    韓国『日本人無料』の光と影 ── 日韓首脳が「未来志向…
  • 6
    正気を失った?──トランプ、エプスタイン疑惑につい…
  • 7
    世界最大の埋蔵量でも「儲からない」? 米石油大手が…
  • 8
    中国のインフラ建設にインドが反発、ヒマラヤ奥地で…
  • 9
    完全に「ホクロ」かと...医師も見逃した「皮膚がん」…
  • 10
    【銘柄】「住友金属鉱山」の株価が急上昇...銅の高騰…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    中国製防空レーダーは米軍のベネズエラ攻撃に屈した─…
  • 6
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?【202…
  • 7
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 8
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 9
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 10
    前進するロシア、忍び寄る限界...勝者に見えるプーチ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story