コラム

ブレグジットがもたらすカオス 最初の難関は600億ユーロの離脱清算金

2017年03月31日(金)18時43分

英メイ首相が署名したEU離脱通告の書簡を受け取ったEUのトゥスク大統領 Yves Herman-REUTERS

<イギリスが正式にEU離脱を通告した。EUが懲罰的な態度を強めるなか、EUへの「離縁状」には追いつめられたメイ首相の本音が見える>

[ロンドン発]イギリス下院の議場は日本のように半円形ではなく、政府と野党が真正面から対決する構造になっている。向かい合った長椅子の最前列に首相はじめ閣僚が並び、反対側の長椅子には最大野党・労働党の党首、影の内閣の閣僚が陣取る。水曜日の3月29日正午から恒例のプライムミニスター(首相)クエスチョンタイムが行われた。

安全保障にまで影響

最も高い記者席からは答弁に立つ首相メイのオカッパ頭しか見えない。メイの表情は壁の大型モニターに映し出される。長方形の議場は賛同の声と、野次、怒号が渦巻き、歴史の怨念さえも感じさせる。時折、議長のバーコウが「静粛に願います」とユーモラスに野次を制した。時計の針が午後12時35分を指す。メイは粛々とEU離脱声明を読み上げ始めた。

「ちょうど数分前、わが国の大使からトゥスクEU大統領(首脳会議の常任議長)にリスボン条約50条に基づき離脱交渉の開始を告げる書簡が手渡された。私たちの前には最良の日が待ち構えている。私たちはEUを離脱するが、決して欧州に別れを告げるわけではない」

メイは声明で「歴史的な瞬間」を強調した。イギリスが44年に及んだEUとの関係に正式に終わりを告げた瞬間、EU離脱に投票した52%の声が議場に解き放たれたように感じられた。6ページの書簡は事前に予想された内容が大半だったが、安全保障に関しイギリスとEUの双方が合意できなかった場合、犯罪やテロ対策での協力が損なわれると強調した点は正直言って意外だった。

欧州の防衛協力には北大西洋条約機構(NATO)という別のプラットフォームがある。その一方で、テロ対策はEUの専門機関である欧州刑事警察機構(ユーロポール)を通じて行われる。シギント(電子情報の収集)能力に抜きん出るイギリスはEU離脱交渉に防衛協力やテロ対策を結び付けず、むしろ積極的に欧州に貢献する姿勢をシンクタンクや英メディアに強調してきた。

EU側が懲罰的な態度で離脱交渉に臨む空気がひしひしと伝わってくる中、メイは切ってはいけない切り札を最初から交渉のテーブルに乗せた。「それほど追い詰められているということの裏返し。貿易にしてもイギリスがEUから受けている恩恵の方が大きい」とロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の教授サラ・ホボルトは解説する。

kimura20170331151501.jpg
LSE教授のサラ・ホボルト Masato Kimura

イギリスはドイツ車を輸入するなど対EUで700億ポンドもの貿易赤字を抱えるため、EUがイギリスに域外関税をかけても自分で自分の首を絞めるだけと高を括っていた。ドイツの自動車産業は9月の総選挙を控え、無関税協定に近い形での交渉妥結をメルケル政権に迫るはずだと根拠のない楽観論をイギリスの離脱強硬派は信じてきた。

プロフィール

木村正人

在ロンドン国際ジャーナリスト
元産経新聞ロンドン支局長。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『欧州 絶望の現場を歩く―広がるBrexitの衝撃』(ウェッジ)、『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。
masakimu50@gmail.com
twitter.com/masakimu41

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

石破首相「双方の利益になるよう最大限努力」、G7で

ワールド

米中貿易枠組み合意、軍事用レアアース問題が未解決=

ワールド

独仏英、イランに核開発巡る協議を提案 中東の緊張緩

ワールド

イスラエルとイランの応酬続く、トランプ氏「紛争終結
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 4
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 5
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 6
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 7
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 8
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 9
    4年間SNSをやめて気づいた「心を失う人」と「回復で…
  • 10
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 9
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story