コラム

ダッカ事件「私は日本人だ」の訴えを無にするな

2016年07月07日(木)11時36分

「日本はイスラム教徒を殺害していない」が重要

 昨年1月、ISによる湯川さん、後藤さん殺害事件は、日本人が敵視されていることを思い知らされる事件だった。中東歴訪中の安倍首相が「ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援を約束します」と演説した後だった。演説はアラブ世界のメディアでは「日本はISとの戦争を支援」という見出しで報じられた。湯川さん、後藤さんにナイフをかざしたIS戦士は「日本は8500キロ離れたところにありながら、我々に戦争をしかけてきた」と前置きして、日本人一人につき1億ドル、計2億ドルを払えと、解放条件を出した。

 安倍首相が演説の中で、難民支援について「ISと闘う国々への支援」と勇ましく付け加えたことが、アラブ世界で「ISへの宣戦布告」と位置づけられ、ISに日本人人質2人を「戦争捕虜」とする口実を与えた。イスラムの聖典である「コーラン」には「あなたがたに戦う者があれば、神の道の下で戦え。だがあなたがたが敵対的であってはならない」(雌牛章)とある。ISは湯川さん、後藤さんのビデオの冒頭で、安倍首相のカイロ演説について「安倍は非軍事的援助で『イスラム国』への戦争を支援」という英国放送協会(BBC)アラビア語サイトの画面を映し出した。

 日本が米国によるイラク戦争の開戦を支持し、米国の要請を受けて自衛隊をイラクに派遣し、さらに安倍首相による「ISとの闘い支援」演説と、日本政府の一連の決定によって、日本がアルカイダやISと戦争状態にあることは、日本人も理解しなければならない。だとすれば、ISに対して、「私は日本人だ」と訴えても自ら敵だと名乗ることに等しい。しかし、先に紹介したように、イラクの反米武装組織の関係者から「自衛隊は復興支援に来ているから標的にしない」と、米軍と日本の自衛隊を区別する言葉が出てくる。つまり、欧米を敵視する過激派と言っても、一色ではなく、日本や日本人に対する敵視に差異があるということである。

【参考記事】安倍首相の70年談話と中東

 中東や南アジアでの親日感にとって重要なのは、日本が軍隊によって侵略し、イスラム教徒を殺害したことはないということである。その点で、日本は欧米と決定的に異なる。逆に日本は医療や保健などの支援事業を通じて、多くのイスラム教徒の命を救っている。今回のダッカ事件でも、日本政府は「日本はあなたたちを殺したことはない。なぜ、日本人を殺すのか」と、日本人が殺害されたことの不当性を「イスラム世界」に対して訴えるべきである。

 自衛隊のサマワ駐留の2年半の間も、一人のイラク人も死傷させていない。それが自衛隊を報復の連鎖に巻き込まれることから守り、自衛隊員にも攻撃による死者が出なかった大きな理由だと、私は見ている。自衛隊派遣の前に、当時の小泉首相は中東の衛星テレビ局アルジャジーラに出演して、「自衛隊は戦争をするためではなく、復興支援のためにいく」と訴えた。ならば、自衛隊が駐留を完了した後、首相はアラブ世界に向けて、「自衛隊は一発の銃弾もイラク人に向けて撃たず、一人のイラク人を殺めなかった」と演説すべきだった。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

イラン、米との協議「無意味」 イスラエル攻撃巡り不

ワールド

イランとイスラエル、再び相互に攻撃 テヘラン空港に

ワールド

焦点:トランプ減税法案、米重要鉱物企業を直撃 税控

ワールド

米海兵隊200人がロスで活動開始、初の拘束者 14
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 2
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生きる力」が生んだ「現代医学の奇跡」とは?
  • 3
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 4
    【動画あり】242人を乗せたエア・インディア機が離陸…
  • 5
    ゴミ、糞便、病原菌、死体、犯罪組織...米政権の「密…
  • 6
    メーガン妃がリリベット王女との「2ショット写真」を…
  • 7
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未…
  • 8
    「結婚は人生の終着点」...欧米にも広がる非婚化の波…
  • 9
    先進国なのに「出生率2.84」の衝撃...イスラエルだけ…
  • 10
    世界一人口が増えているのはイスラム教徒――若さと出…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラドールに涙
  • 3
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 4
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタ…
  • 5
    ふわふわの「白カビ」に覆われたイチゴを食べても、…
  • 6
    ひとりで浴槽に...雷を怖れたハスキーが選んだ「安全…
  • 7
    猫に育てられたピットブルが「完全に猫化」...ネット…
  • 8
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 9
    プールサイドで食事中の女性の背後...忍び寄る「恐ろ…
  • 10
    救いがたいほど「時代錯誤」なロマンス映画...フロー…
  • 1
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 2
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story