コラム

100年を迎えた英領北アイルランドの複雑すぎる歴史と現状

2021年06月05日(土)12時15分

それでも、住民投票が行われたりして50.1%が賛同し、アイルランド共和国との統一が宣言されでもしたら、その瞬間にこれまでとはまるで次元の違う暴力と混乱が生まれるだろう。

カトリック系住民が圧倒的多数である国境付近の地域をアイルランド共和国に統合するかどうかを問う「北アイルランドの地位に関する住民投票(border poll)」については何度か話題に上っている。これは合理的に見えるかもしれないが、ここにも新たな問題が生じる。

1つには、(アイルランド統一を望むカトリックの)「ナショナリスト」のテロリストたちが、自らの優勢を確実にするために(イギリス残留を望むプロテスタントの)「ユニオニスト」の世帯を追い出したいとの考えを強めてしまう、つまり「民族浄化」を誘発してしまう、という点だ。これは行き過ぎた懸念などではない。実際に何十年も行われていて、国境地域では多くのプロテスタントの農家が脅され、嫌がらせを受けてきた。反対に言えば、プロテスタント優勢の地域に住むカトリックにとってみれば、アイルランドとの統一の夢は事実上諦めなければならないことを意味する。つまり、カトリックが圧倒的多数の地域をひとたび切り離してしまえば、残りの北アイルランドは再びプロテスタント優勢の地に戻ってしまう。

アイルランド国民はトラブルを望まず

人口動態については、あと2点ほど指摘しておきたい。たぶん、誰しも気付いているかもしれないが、1つには、北アイルランドはこんなにも大きな国際ニュースになっているのに比べて人口がこんなにも小さいということ。その人口はだいたい熊本県と同じくらいだ。もう1つには、イギリスのどの地域に比べても民族的マイノリティーが極端に少ないこと(1%以下だ)。住民全員が家系的にプロテスタント系アイルランド人かカトリック系アイルランド人かのどちらかであり、2つのコミュニティーがめったに交わらないだけに異宗教間の結婚があまりないことが、大きな理由だ。

北アイルランドは時に「アルスター地方」と呼ばれる。これは北アイルランド内でさえ広く使われている簡易表現だが、厳密に解釈すると正確な言葉ではない。アルスターはアイルランドに古くからある4つの地域の1つで、9県から成る。このうち北アイルランドに属する県は6つだけだから、アルスターとはいっても北アイルランドではない地域もあるわけだ。

アイルランド共和国の人々は通常、「北アイルランド」という言い方をしたがらない。彼らは「アイルランド北部」や、単に「北部」と言う。そんなふうにして彼らは、自らの島が分断されて一部をイギリスに組み込まれていることを、ある意味、認めまいとしている。

僕は子供時代いつも、アイルランド共和国の国民はみんな、アイルランド統一を熱望しているものとばかり思っていた。でも、事態はもっと複雑だ。確かにアイルランド共和国の人々にとって、統一という考えには感傷的な愛着がある。でも、僕が初めてアイルランド共和国に旅した時、実際に多くの人々が統一によってトラブルが起こる事態を望んでいなかったことを鮮明に覚えている。

それはつまり、北アイルランドのあらゆる治安問題はイギリスではなくアイルランドの問題であり、アイルランド共和国は大勢の怒れるユニオニストを国内に抱えることになり、その中には決してアイルランド政府の支配を受け入れないことを信条にした自警団的なグループも含まれる(彼らのスローガンは「決してアイルランド政府のルールは受け入れず」だ)、ということを意味する。イギリスが直面しているのと、ちょうど表裏一体の問題を抱えているわけだ。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米中貿易枠組み合意、軍事用レアアース問題が未解決=

ワールド

独仏英、イランに核開発巡る協議を提案 中東の緊張緩

ワールド

イスラエルとイランの応酬続く、トランプ氏「紛争終結

ワールド

英、中東に戦闘機を移動 地域の安全保障支援へ=スタ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 2
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 3
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されずに「信頼できない人」を見抜く方法
  • 4
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 5
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 6
    構想40年「コッポラの暴走」と話題沸騰...映画『メガ…
  • 7
    逃げて!背後に写り込む「捕食者の目」...可愛いウサ…
  • 8
    「結婚は人生の終着点」...欧米にも広がる非婚化の波…
  • 9
    4年間SNSをやめて気づいた「心を失う人」と「回復で…
  • 10
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 7
    ふわふわの「白カビ」に覆われたイチゴを食べても、…
  • 8
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 9
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 10
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 1
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 2
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story