コラム

コロナ禍で聖域化に拍車がかかる英医療制度NHSにもの申す

2020年11月07日(土)10時15分

問題はNHSが、コロナ以降は特に、ほぼ批判を超越した存在であることだ。たとえひどく官僚的で非効率であろうと、いかなる政権も改革が許されない「聖域」になっている。ちょっとした市場原理を取り入れよう、単にビジネスの常識を適用しよう、という試みは何であれ、NHSへの攻撃であり設立の原則への背信だとみなされる。

例えば、アスピリンなどスーパーでも買える軽い鎮痛剤(16錠入りで60円程度)をNHSが処方するのはやめるべきだという提案があったが、立ち消えになった。実際、慢性痛や疼痛の患者は診察を予約し、医者から処方箋をもらい、アスピリンを(60代以上と生活保護の人の場合は)無料で受け取る。これはNHSにとってかなりのコストで、医師の貴重な時間の無駄遣いだ。だが「最も弱い立場にある人々」がNHSを利用できることは何より優先される。そしてその間、他の人は診察予約を取るのすら苦労している。

血液検査を受けるとしたら3段階が必要になり、10日以上かかる。まず、検査を指示してくれる一般開業医の予約を取って診察してもらう。それから看護師の予約を別に取り、血液を採取してもらい、検査機関に送ってもらう。検査結果は患者ではなく医者だけに送られる。僕が最初に日本の病院に行ってその場ですぐに血液検査を受けられたときは、医師に深刻な病状だと判断されたんじゃないかと思い込んでしまった。

個人的な例を挙げれば、僕は緑内障の家系だから毎年、眼科検診を受け続けている。検査技師も医者も素晴らしく、安心できるしとても専門的だ。だが今年、その眼科の前まで行って初めて、3マイル先の場所に移転していたことを知った。よく見れば、次回診察案内の手紙には新住所が記されていたが、常識的なビジネスなら「移転しました」の一言くらいはっきり書いておくのが普通だろう。

NHSの抱える問題の1つは、多くの名医が50代後半、経験も専門性も最高潮に達した頃に引退してしまうことだ。理由は、医師の年金積み立てが100万ポンドに達し、その後は税控除が受けられなくなるから。言うなれば、ちょうど仕事を続ける必要もなくなる頃に、働き続けるほど事実上の減給をされる状況になる。とはいえ、「富裕層の税を控除する」ことになってしまうから、彼らの「年金の天井」の上限を上げようという声は上がらない。

どういうわけか、NHSへの支持はあくまで特定の形に限定されるらしい。

<2020年11月10日号掲載記事に加筆>

ニューズウィーク日本版 ガザの叫びを聞け
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年12月2日号(11月26日発売)は「ガザの叫びを聞け」特集。「天井なき監獄」を生きる若者たちがつづった10年の記録[PLUS]強硬中国のトリセツ

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

香港の高層複合住宅で大規模火災、13人死亡 逃げ遅

ビジネス

中国万科の社債急落、政府が債務再編検討を指示と報道

ワールド

ウクライナ和平近いとの判断は時期尚早=ロシア大統領

ビジネス

ドル建て業務展開のユーロ圏銀行、バッファー積み増し
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ガザの叫びを聞け
特集:ガザの叫びを聞け
2025年12月 2日号(11/26発売)

「天井なき監獄」を生きるパレスチナ自治区ガザの若者たちが世界に向けて発信した10年の記録

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 2
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファール勢ぞろい ウクライナ空軍は戦闘機の「見本市」状態
  • 3
    【銘柄】イオンの株価が2倍に。かつての優待株はなぜ成長株へ転生できたのか
  • 4
    老後資金は「ためる」より「使う」へ──50代からの後…
  • 5
    7歳の娘の「スマホの検索履歴」で見つかった「衝撃の…
  • 6
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 7
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 8
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 9
    放置されていた、恐竜の「ゲロ」の化石...そこに眠っ…
  • 10
    ミッキーマウスの著作権は切れている...それでも企業…
  • 1
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 2
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判殺到、そもそも「実写化が早すぎる」との声も
  • 3
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 4
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 7
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 8
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 9
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナ…
  • 10
    【銘柄】イオンの株価が2倍に。かつての優待株はなぜ…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 7
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 8
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦…
  • 9
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story