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ロンドンでは人種感覚に鈍感だと痛い目を見る
移民の増加で人種が多様化するのに従い、人種への配慮も過剰になる一方 IR_Stone/iStock.
<移民が増加し、多民族化していくイギリス(特にロンドン)では、配慮し過ぎて人種に関する表現がどんどんややこしいことに>
最近、僕は日本人の友人に、イギリスでの人種感覚の話題について説明しようとした。単純に言えば、話すときには相手の気分を害する言い方をしないように気を付けたほうがいい、と。でもこの問題で複雑な点は、言っていいことと悪いことが時とともに変化することだ。それに、場所によっても異なる。そのうえ、いつも筋が通っているというわけでもない。
まずその「筋が通らない」例から紹介すると、ボリス・ジョンソン前外相が数カ月前に新聞のコラムで、ブルカ(イスラム女性が全身を覆う衣服)を着た女性は「郵便ポスト」か「銀行強盗」に見える、と書いて批判された件は日本でも報道されたかもしれない。多くの人はこの表現を人種差別的だと考えたが、単なる悪趣味な発言だと感じた人もいれば、これのいったい何が問題なのか、と思った人もいたようだ。
でも僕が興味深く思ったのは、定義上はブルカ女性と同じく特定の宗教に属する集団である、カトリックの修道女たち(しかも彼女たちの多くはアイルランド人やその他のマイノリティー)が、イギリスではごく当たり前のように「ペンギン」と呼ばれていることだ。これは非論理的だし、ダブルスタンダードに思える。
僕が子供の頃は、多数派である白人以外の人々を指す「coloured(有色人種)」という言葉は問題なく使われていた。もちろん、誰かを指差して「おい、そこの有色人種、いま何時?」などと言うのはあり得ないが、「ロンドン地下鉄では多くの有色人種が働いている」という表現は当然のように許されていた。
だが今では「有色人種」は人種差別すれすれだと思われている。たぶん、こうした意識は、歴史的にこの言葉が差別的な意味合いを帯びて使われてきたアメリカから伝わったのだろう。かつてアメリカの一部の地域では、水飲み場も白人用と「有色人種用」に分けられ、「有色人種、入店お断り」と掲示する飲食店もあった。そのためにこの言葉はアメリカでは不快な言葉となり、歴史的背景が異なるイギリスでも、使わない方が無難、ということになったのだろう。
80年代のこうした変化を、僕はよく覚えている。誰かが「有色人種」と言い出そうものなら、他の人がこう言ったものだ。「有色? どういう意味? オレンジのこと? グリーンのこと? ブラックの意味ならブラックって言ってよ!」。その時代には誰もが「有色人種」の意味を知っていたから、この発言が意図的なものであることは間違いない。
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