コラム

知られざる少数民族「トラベラーズ」

2011年10月09日(日)20時46分

 イギリスの作家ジョージ・オーウェルは、有名な「二重思考」という造語を考え出した。相反する二つの意見を同時に持つことができる、ということを意味する言葉だ。

 オーウェルの反ユートピア小説『1984』に描かれた二重思考とはつまり、政権の言うことは真実ではないと国民が知りながら、それでも信じなければいけない、という状態を指している。状況は異なるけれど、僕は今、自分がこの二重思考に陥っていることを自覚している。

 イギリスでは現在、世論を巻き込んだ10年越しの法的闘争が決着しようとしている。近々エセックス州当局が、デール・ファームと呼ばれる地域から数十組の家族を立ち退かせる見込みだ。彼らはこの地に不法に住居を建てて暮らしていた。

 この一件は、ここ半年というものイギリスで大ニュースになっていた。著名活動家らが意見を戦わせ、有名なテレビジャーナリストたちが現地を取材し、多くの論説が新聞各紙をにぎわせた。

 当然ながら、僕は違法な住居の立ち退きを支持している。イギリスではたとえ自分の土地であっても、好き勝手に家を建てることは許されない。とくに市街地の拡大で田園地帯が消失することを防ぐために設けられたイングランド南東部の「グリーンベルト」地帯では、規制が厳しい。

 立ち退きに賛成する個人的な理由もある。僕の家族は以前、問題のデール・ファームのあるバジルドン地域に住んでいたことがある。あるとき父は、些細な建築規制違反で厳しい罰を受けた。自分の敷地内にある小さな、グラグラする壁を取り壊したときに、当局の許可を取らなかったためだ。

 数年後、隣人がわが家に隣接する区画で違法にヤギを飼いだしたとき、僕たちは彼らを立ち退かせられなかった。そのときには、地方議会の予算と人材は、すべてデール・ファームから移動してきた人々を立ち退かせるための戦いに費やされていたからだ。このことで、僕は「法は公平に実行すべきだ」と強く思った。

■貧困のアイルランドを逃れて

 だがデール・ファームの場合には、重大で複雑な問題がある。退去を迫られている家族は、「トラベラーズ」という、ごく少数だが意義深いイギリスの少数民族なのだ。トラベラーズの起源は不明だが、はるか昔にアイルランドの土地を失ったアイルランド人の子孫である可能性が高い。

 イギリスに住む現在のトラベラーズの多くは、アイルランド生まれか、アイルランド人の2世か3世だ。彼らはアイルランドにおいても少数民族とみられている。20世紀前半まで農業を営むか都市や郊外で仕事をしていた一般のアイルランド人と比べると、彼らの生活様式や文化は大きく異なっているからだ。

 アイルランドでイギリスが悪政を敷いてきた側面は否定できない。アイルランドがイギリスの一部だった時代、地方に住むアイルランド人の多くを貧困に追いやったのは、イギリスの責任によるところが大きい。

 アイルランド人の大半は、イギリス人の地主が所有する土地を借りて耕す小作農だった。イギリスはアイルランドを征服した後、土地を奪取し、小さな区画の土地を統合。経済上合理的な大規模農場にするために、小作人たちを「機会があるごとに」追い出した。たとえば、1840年代後半に起きたジャガイモ飢饉のときなどだ。

 飢饉だけではなく、数世紀にわたって極貧の生活が続いたため、土地の賃料を払うどころか食べることさえできない人々が増えた。その多くが死に絶えるか、国外に移住した。

 そして、はっきりしたことは分からないが、トラベラーズと呼ばれることになる人々が出てきた。才覚あふれ、仲間と支えあって生活する、土地を持たない人々だ。だから、イギリスのリベラル派がアイルランド人トラベラーズに対して責任を感じるのは、当然のことなのだ。

■定住に怒るイギリス人の矛盾

 事実、イギリスにはアイルランド人トラベラーズの生活様式と権利を保護する法律も存在する(似たような生活を送るジプシーを保護する法律もある。ジプシーの生活様式はトラベラーズと似ているものの、文化的・歴史的背景は異なる)。それでもこの法律には、許可なく住居を建てる権利など含まれていない。

 トラベラーズはイギリス国民にあまり好かれてはいない。僕は個人的にトラベラーズと知り合ったことはないものの、トラベラーズ批判の中にはもっともだと思えるものもある。たとえば、彼らは女性の教育に関して消極的だ。読み書きが出来るようになる前に女の子が学校を辞めさせられることも多い。

決まった土地に落ち着いて暮らすのならそれはもはやトラベラーズではない、だからみんなと同じ法律に従うべきだと、人々は主張する。

 トラベラーズが非難されるのは、彼らが農地を購入し(住宅用地よりも安い)、そこに多くの家族がトレーラーを連ねてやってきて、そのまま住みつくからだ。そうなれば、トレーラーは事実上の住宅ということになる。

 小さな村の学校は、トラベラーズの子供を大量に受け入れなければならないかもしれない。そうした子供たちは、地元の子供とは文化的に違っている――地元の親たちの言葉でいえば「粗野」だ。

 デール・ファームの強制退去騒動の過程でこうした問題が顕在化し、人種間の緊張をもたらした。イギリス人は、トラベラーズが自分たちと同じように振舞うべきだと思いながら、トラベラーズが1カ所に定住すると怒る。これは公正ではない。

 デール・ファームでトラベラーズが定住に近い生活を始めた理由は、女性が力を増してきたからだとも言われている。彼女たちは子供のためにより良い住居や教育、医療を望んでいる。それでもこの変化は、イギリスの大衆からはあまり歓迎されていない。

 トラベラーズは一般的に外部の人間とは付き合わず、部外者と結婚することはほぼない。自分たちの文化が危機にさらされている、主流の文化と交われば破壊されてしまう、と彼らは危機感を抱いている。

 その結果、イギリス人はトラベラーズのことをほとんど理解していない。知っているのは、トラベラーズが金のかかる豪華な結婚式をあげるということだけだ。最近では有名テレビ番組でもこの話題が取り上げられた。彼らのこの習慣のせいで、国の特別な支援を要求しながら、実際にはトラベラーズはとても裕福なんじゃないかという思い込み(または偏見)が広がったようだ。

 中にはとても裕福な人もいるかもしれない。トラベラーズは建築業を営む人が多く、建築はとても儲かる仕事だからだ。だがそうでなくても、歴史的に虐げられてきた(その上、大きな家を所有することもなく生活してきた)人々が、家族の富を誇示し、贅沢で派手な結婚式で自分たちの文化を見せつけたいと思うことは、別に不思議なことじゃない、と僕は思う。

 僕の「二重思考」はこんな具合だ。一方で、僕は立ち退きに全面的に賛成している。法律は法律だ。だが同時に、僕は気付いてもいる。必ずしも「好き」とは言えないマイノリティーをどの程度容認し、共生していくことができるか――そんな基準で社会の「寛大さ」は評価されるのではないか、と。特に、そのマイノリティーが本当に少数で、主流文化を脅かす恐れなどまったくない場合ならなおさらだ。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

武田薬品のてんかん治療薬、後期治験で主要目標達成で

ワールド

プーチン大統領18日訪朝、24年ぶり 関係強化の動

ワールド

中国のEU産豚肉調査、スペインが交渉呼びかけ 「関

ワールド

パレスチナ自治政府、夏にも崩壊 状況深刻とノルウェ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:姿なき侵略者 中国
特集:姿なき侵略者 中国
2024年6月18日号(6/11発売)

アメリカの「裏庭」カリブ海のリゾート地やニューヨークで影響力工作を拡大する中国の深謀遠慮

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    新型コロナ変異株「フラート」が感染拡大中...今夏は「爆発と強さ」に要警戒

  • 2

    この「自爆ドローンでロシア軍撃破の瞬間」映像が「珍しい」とされる理由

  • 3

    ニシキヘビの体内に行方不明の女性...「腹を切開するシーン」が公開される インドネシア

  • 4

    森に潜んだロシア部隊を発見、HIMARS精密攻撃で大爆…

  • 5

    FRBの利下げ開始は後ずれしない~円安局面は終焉へ~

  • 6

    顔も服も「若かりし頃のマドンナ」そのもの...マドン…

  • 7

    水上スキーに巨大サメが繰り返し「体当たり」の恐怖…

  • 8

    なぜ日本語は漢字を捨てなかったのか?...『万葉集』…

  • 9

    中国経済がはまる「日本型デフレ」の泥沼...消費心理…

  • 10

    米フロリダ州で「サメの襲撃が相次ぎ」15歳少女ら3名…

  • 1

    ニシキヘビの体内に行方不明の女性...「腹を切開するシーン」が公開される インドネシア

  • 2

    接近戦で「蜂の巣状態」に...ブラッドレー歩兵戦闘車の猛攻で、ロシア兵が装甲車から「転げ落ちる」瞬間

  • 3

    早期定年を迎える自衛官「まだまだやれると思っていた...」55歳退官で年収750万円が200万円に激減の現実

  • 4

    米フロリダ州で「サメの襲撃が相次ぎ」15歳少女ら3名…

  • 5

    毎日1分間「体幹をしぼるだけ」で、脂肪を燃やして「…

  • 6

    この「自爆ドローンでロシア軍撃破の瞬間」映像が「…

  • 7

    カカオに新たな可能性、血糖値の上昇を抑える「チョ…

  • 8

    「クマvsワニ」を川で激撮...衝撃の対決シーンも一瞬…

  • 9

    認知症の予防や脳の老化防止に効果的な食材は何か...…

  • 10

    堅い「甲羅」がご自慢のロシア亀戦車...兵士の「うっ…

  • 1

    ラスベガスで目撃された「宇宙人」の正体とは? 驚愕の映像が話題に

  • 2

    半裸でハマスに連れ去られた女性は骸骨で発見された──イスラエル人人質

  • 3

    ニシキヘビの体内に行方不明の女性...「腹を切開するシーン」が公開される インドネシア

  • 4

    ウクライナ水上ドローンが、ヘリからの機銃掃射を「…

  • 5

    「世界最年少の王妃」ブータンのジェツン・ペマ王妃が…

  • 6

    接近戦で「蜂の巣状態」に...ブラッドレー歩兵戦闘車…

  • 7

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 8

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃の「マタニティ姿」が美しす…

  • 9

    早期定年を迎える自衛官「まだまだやれると思ってい…

  • 10

    ロシアの「亀戦車」、次々と地雷を踏んで「連続爆発…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story