コラム

他人の家に住む「サブレット」のすすめ

2009年10月01日(木)14時56分

 1カ月に1度は、まったく方向違いの電車に乗ってしまう。建物を出て歩き出し、間違いに気付いてUターンして警備員に不思議な顔をされることは日常茶飯事。ときには自分が住む建物の前を素通りしてしまうことも。家に帰れば帰ったで電気のスイッチがどこにあるのかわからず、壁をいたずらにまさぐることになる。

 それもこれも、ニューヨークの中をあり得ないほど引っ越しているから。つい先日から住み始めたこの部屋は、この2年で12軒目だ。3日間だけ暮らした家もある。最長は5カ月だった。
 
 僕がこれほどたくさんの家に住んできたのは、「サブレット」というアメリカならではのシステムのおかげだ。休暇や転勤で留守にする部屋をまた貸しするのがサブレットだ。

 サブレットのマイナス面は書かなくてもわかるだろうから、ここでは触れない。何度も引越しするのはもちろん不便だが、そのメリットは計り知れない。家具もテレビも電子レンジも買わずに済む。何より、他人の暮らしにひょいと入り込めるのだから面白い。これまで僕は多種多様なインテリアに触れ、自分では買わないDVDを見、未知のアートを楽しんだ。

 例えば、庶民の憩いの場である海岸と遊園地で名高いコニーアイランドの博物館で学芸員をしている男性の部屋。ひげの生えた女性とか、見世物小屋に出てきそうな人たちの絵がそこらじゅうに飾られていた。妙にワクワクした気分になったものだ。

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不思議な絵が飾られていたコニーアイランドの部屋


■カリブ系住民とイギリス人の意外な共通点

 舞台演出家の部屋には、見たこともないほど知的な蔵書があった。彼女はルーフバルコニーの植木の世話も僕に任せて行った。植物の世話は初めての経験だ。その夏、僕がルーフバルコニーで育てた花は、僕の誇りであり、自慢だった。

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舞台演出家のルーフバルコニーで僕が育てた花


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バルコニーは素敵だが部屋はごちゃごちゃしていた


 だがサブレットは何より、ニューヨークを隅々まで(興味のある地域に限られてはいるが)深く知るための「原動力」になった。ある地域を本当に知りたいと思ったら、そこに住むしかない。人はたいてい住むところを1カ所しか選べないし、ときには何十年も同じ場所で暮らす。僕はこの1年で、生粋のニューヨーカーが一生の間に暮らすよりもたくさんの地域に住んだ。

 引っ越しの前は、旅行に出掛けるみたいにわくわくする(今住んでいるのはブルックリンの巨大倉庫を改造した家だ)。夏には、ブライトン・ビーチまで自転車で行ける地域に住んでいた。住人のほとんどはロシア系だ。じいさんたちがロシア語でおしゃべりするカフェでピロシキを食べ、海でひと泳ぎする毎日だった。

 ブルックリンの歴史的地区プロスペクト・レファーツ・ガーデンズにも住んだ。住民の多くはカリブ系で、白人はほとんどいない。だがカリブの人たちがギネスを飲みフィッシュ・アンド・チップスを食べると知って、イギリス人の僕はすっかり馴染むことができた。理容室や美容院が社交場になっているのも面白い。短い大通りにこうした店が20軒以上もひしめき、真夜中すぎまでオープンしている。

 逆に白人しか見かけないニューヨークきっての高級住宅地に短期間、暮らしたこともある。黒人を見かけることはめったになく、たまに白人の赤ん坊を乗せた乳母車を押して歩く黒人のナニーを見る程度だった。ミッドタウンにあるこの部屋は、レファーツ・ガーデンズより狭いのに家賃は倍近くした。建物の1階はペットの「霊視」をする店で(飛び込みの客は10ドルの特別料金で見てもらえる)、周辺には仕事に忙しいエリートたちが甘やかされた犬を預けるデイケア施設がいくつもあった。

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高級住宅地ではペットは別格の扱い。ペットの霊視をする店も


 楽しい発見もある。この高級住宅地の近くの59丁目の一区画は家具の街になっているのだが、カーペットの店や骨董家具店だけでなく、電球の専門店まで見つけた。

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59丁目で見つけた電球の専門店


■お気に入りは摩天楼の中で見つけた「村」

 演奏ツアーに出るバイオリン奏者に、マンハッタン南端の安いアパートを借りたこともある。9.11テロで倒壊したワールドトレードセンターの跡地「グラウンド・ゼロ」に面した部屋だ。テロの「傷跡」で夜も昼も働く作業員たちを見ると、不思議と心が励まされた。

 僕が一番気に入ったのは、ブルックリン北部のグリーンポイントだ。部屋は広々としているのに安く(1カ月1200ドル)、いいバーと安いレストランが集まっている。ここはポーランド人街で、ポーランド語は綴りと発音がかけ離れていることを僕は思い知らされた(例えばZywiecという名のビールは「ツワイク」と読みたくなるが、正解は「ジヴィエッツ」)。

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ポーランド人街で。ビールの呼び名がわからない!


 グリーンポイントはやや孤立していて、交通の便も悪い。だから、マンハッタンに通勤する人々にもデベロッパーにも人気がない。ありがたいことに。高層化するニューヨークの町で一番高い建物が教会という地域は珍しく、町というより村のようだ。アパートやレストランに改築されてはいるが、昔の工場の建物も残っている。

 一口にニューヨークといっても、各地域はめまいがするほどバラエティー豊か。地域ごとにちょっと違うなんてものじゃない。ときには別世界が広がっている。誰かがニューヨークに住んでいますと言うと、「どのニューヨークですか?」と聞きたくなる。

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これまで住んだ中で最高の眺め

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

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