コラム

肝心なところが分からない「菅首相」立身出世本の不毛

2020年10月06日(火)14時25分

HISAKO KAWASAKIーNEWSWEEK JAPAN

<都合のいい話ばかりをつなぎ合わせれば本書のように描ける。だが、つまるところ本書は「菅義偉」という人間をこう見てくれたらうれしいという願望が反映された本であり、肝心なところは何も分からない>

今回のダメ本

ISIDO-suga201006.jpg内閣官房長官
大下英治[著]
エムディエヌコーポレーション
(2020年4月)

この号が出る頃には、自民党の新総裁が決まっているだろう。選挙戦の中で、俄然注目度が高まったのが、菅義偉官房長官であることは間違いない。メディア上で肯定的に取り上げられるようになった「たたき上げ」話だ。いわく、秋田県のイチゴ農家に生まれ育った菅は集団就職で上京し、段ボール工場などで働きながら法政大学に入学、苦労して政治の世界に入り、横浜市議からのし上がっていった――。

「政治家2世ではないから信用できそうだ」「苦労した人だから国民の気持ちが分かるだろう......」、そして安倍政権を支えた7年8カ月によって、「危機管理」に強いといったイメージができつつあるかのように私には見える。

さて、実際のところはどうなのだろうか。

大下英治は政治家の評伝を数多く手掛けてきた作家である。この本の中でも菅本人だけでなく、二階俊博、古賀誠といった自民党の重鎮に始まり、コロナ禍でにわかに注目が集まった経済再生担当相の西村康稔や、菅と親交が深い証券アナリストなどを幅広く取材し、多くの声を引き出し、一冊にまとめている。

政治家の信頼を得ている大下の手法は、本書の中でも健在だ。彼の特徴は非常に明快に指摘できる。それは、政治家を批判的に分析するという視点はほとんどないということだ。とにかく立身出世伝を描こうとする。菅は「乱世に強い」政治家であり、国家観なき民主党政権に代わり「もう一度、安倍晋三という政治家は、国の舵取りをやるべきだ」と信じ、政権に徹底的に尽くした人物として描かれる。

安倍政権下で噴出した数々の疑惑に対して、真摯に説明を果たしたとはおよそ言えない会見は、コリン・パウエル元米国務長官に学んだ「答えない権利」の行使であり、実は「人の話をたくさん聞く」政治家であるという話ばかりがやたらと繰り返される。

異論に耳を傾けるというのは、単に話を聞くだけではなく、誠実に説明し、納得してもらうことこそが結果だという筋論はどこかに飛んでいってしまう。

極端な右派とも共鳴していた安倍政権の「国家観」なるものが支えるに値するものかはイマイチ分からないが、本書を読んで最も分からないのは当の菅自身の「国家観」だ。これまた強調される私心のなさは、言い換えれば政治を通して実現したいことが本人には無いということの裏返しである。

プロフィール

石戸 諭

(いしど・さとる)
記者/ノンフィクションライター。1984年生まれ、東京都出身。立命館大学卒業後、毎日新聞などを経て2018 年に独立。本誌の特集「百田尚樹現象」で2020年の「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を、月刊文藝春秋掲載の「『自粛警察』の正体──小市民が弾圧者に変わるとき」で2021年のPEPジャーナリズム大賞受賞。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)、『ルポ 百田尚樹現象――愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)、『ニュースの未来』 (光文社新書)など

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

台湾、中国の軍事活動に懸念表明 ロイター報道受け

ビジネス

市場動向を注視、為替市場で一方向また急激な動きもみ

ワールド

訪印のプーチン氏、モディ首相との会談開始

ビジネス

金融政策で金利差縮めていってもらいたい=円安巡り小
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%しか生き残れなかった
  • 2
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させられる「イスラエルの良心」と「世界で最も倫理的な軍隊」への憂い
  • 3
    高市首相「台湾有事」発言の重大さを分かってほしい
  • 4
    【クイズ】17年連続でトップ...世界で1番「平和な国…
  • 5
    「ボタン閉めろ...」元モデルの「密着レギンス×前開…
  • 6
    ロシアはすでに戦争準備段階――ポーランド軍トップが…
  • 7
    日本酒の蔵元として初の快挙...スコッチの改革に寄与…
  • 8
    「ロシアは欧州との戦いに備えている」――プーチン発…
  • 9
    左手にゴルフクラブを握ったまま、茂みに向かって...…
  • 10
    見えないと思った? ウィリアム皇太子夫妻、「車内の…
  • 1
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 2
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体を東大教授が解明? 「人類が見るのは初めて」
  • 3
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%しか生き残れなかった
  • 4
    128人死亡、200人以上行方不明...香港最悪の火災現場…
  • 5
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 6
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 7
    【クイズ】世界遺産が「最も多い国」はどこ?
  • 8
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇…
  • 9
    【クイズ】17年連続でトップ...世界で1番「平和な国…
  • 10
    日本酒の蔵元として初の快挙...スコッチの改革に寄与…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 6
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 7
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 8
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story