コラム

アラブ世界に黒人はいるか、アラブ人は「何色」か、イスラーム教徒は差別しないのか

2020年07月22日(水)18時05分

巡礼におけるこの鮮烈な体験は、マルコムXがNoIを離れ、スンナ派イスラームに接近するきっかけになったともいわれている。そして、マルコムXは、NoIからの離脱が原因で1965年、NoIのメンバーにより暗殺されてしまう。

では、はたしてイスラームは、マルコムXが感じたように、肌の色とは無縁の、アッラーのまえでの全人類の平等を唱える宗教であろうか。理念的にいえば、そうであろう。ただ、たとえ理念や教義がそうであっても、イスラームを信仰するすべての信者たちがその理念・教義をきちんと遵守しているわけではない。

セムの子孫から預言者が、ハムの子孫からは奴隷が生まれる

たとえば、イスラームは、ユダヤ・キリスト教の神話体系をある程度受け継いでいるのだが、黒人の起源を、箱舟伝説で有名な旧約聖書のノアの息子、ハムに求めている。ハムが父ノアの怒りをかったり、その子孫をアフリカと結びつけたりする考えかたは、ユダヤ教やキリスト教にもある。イスラームの神話では少し変化して、ノアが箱舟のうえで寝ているとき、風が吹いて、着物の裾がはだけて、陰部が露出してしまったのをハムが笑ったため、父が怒って、ハムの肌の色を変え、顔が黒くなるよう呪ったという物語になっている。

一方、兄弟のセムは、はだけた裾を覆い隠したので、父はそれを善しとし、彼や彼の子孫がこの世の悪から守られ、祝福されるよう祈ったという。重要なのは、ノアはさらにセムの子孫から預言者や貴顕たちが生まれ、ハムの子孫からは奴隷が生まれ、そしてもう一人の兄弟であるヤペテから王や皇帝が生まれるよう祈ったとされていることだ。

イスラームの神話では、セムの子孫からはユダヤ人やアラブ人が生まれ、ヤペテの子孫からはトルコ人、ペルシア人、ヨーロッパ人が生まれたとするのが一般的だ。そして、ハムの子孫は、ノアに呪われた結果、黒人が生まれるようになったというのである。黒人、ヌビア人、ベルベル人、インド人など肌の黒いものはみなハムの子孫だそうだ。

資料によってさまざまな異同はあるものの、父の呪いの結果、黒人から奴隷が生まれるという部分は共通している(資料によっては、最後の審判の日までそのままというものまである)。ちなみに、ハムが呪われて黒人に変えられたという話はクルアーン(コーラン)には出てこない。後世、何らかの歴史的事実を背景に追加されたものであろう。

『白人に対する黒人の優越』を書いた文人、黒人蔑視をした知識人

世界史の教科書にも登場する有名な事件に、西暦9世紀ごろに断続的にイラクで発生した黒人の反乱がある。バグダードを首都としたアッバース朝は、大量の黒人奴隷をアフリカから購入し、イラクに連れてきて、重労働をさせたが、そのあまりに過酷な労働環境から、奴隷たちが反乱を起こした。しかし、最終的には反乱は武力で鎮圧されてしまい、奴隷たちももとの重労働に戻されてしまう。これが世にいう「ザンジュの乱」だ。

【関連記事】スタバも、スバルも、人種差別主義者なのか?

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究顧問。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授、日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長等を経て、現職。早稲田大学客員上級研究員を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、大型減税法案可決をアピール アイオワ州

ワールド

IMF、スリランカ向け金融支援の4回目審査を承認

ビジネス

ドイツ銀、グローバル投資銀行部門で助言担当幹部の役

ビジネス

ドイツ自動車対米輸出、4・5両月とも減少 トランプ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギに挑んだヘビの末路
  • 2
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 3
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコに1400万人が注目
  • 4
    【クイズ】「宗教を捨てる人」が最も多い宗教はどれ?
  • 5
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 6
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 7
    ワニに襲われた直後の「現場映像」に緊張走る...捜索…
  • 8
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 9
    吉野家がぶちあげた「ラーメンで世界一」は茨の道だ…
  • 10
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 1
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 2
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 3
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 4
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギ…
  • 5
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 6
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 7
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 8
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 9
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 10
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 7
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 8
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 9
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 10
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story