コラム

アラブ世界に黒人はいるか、アラブ人は「何色」か、イスラーム教徒は差別しないのか

2020年07月22日(水)18時05分

このころからすでに中東・イスラーム世界では黒人は奴隷として劣悪な環境に置かれていたことがわかる。ただ、その反動であろうか。たとえば、西暦8世紀から9世紀にかけて活躍したイラクの有名な文人、ジャーヒズは『白人に対する黒人の優越』という本を書き、多くの黒人たちが預言者ムハンマドの時代からイスラームのために活躍していたことを紹介している。

たとえば、伝説の賢者ルクマーンやイスラーム最初のムアッジン(礼拝の呼びかけを行う人)とされるビラール、イスラーム最初の殉教者とされるミフジャァなどなどである。ルクマーンはその優れた知性で、ビラールはその美声で、ミフジャァはその勇気でアラブ人のあいだでも語りつがれている。

とはいえ、実はジャーヒズ自身、アフリカの血が流れているとされており、その出自ゆえに肌の色と信仰の深さや知性が無関係であることを論じる必要があると感じたのかもしれない。

だが、古典アラビア語世界では、大まかにいって肌の色の違いは気候帯の違いなどで説明されているが、それがしばしば文化や知性の水準にも結びつけられ、あからさまな黒人蔑視にもつながっている。たとえば、ペルシアの偉大な医師にして哲学者で、第二のアリストテレスとも呼ばれたイブン・シーナー(アウィケンナ、1037年没)は、トルコ人や黒人のように極寒や灼熱の地に住むものは生来、奴隷であり、高度な文化をもちえないと主張している。

またイスラーム世界最高の知性の一人と称される、北アフリカ出身のイブン・ハルドゥーン(1406年没)ですら、黒人に対する見かたは辛辣である。彼によれば、トルコ人は、権力や富を手に入れるための手段としてイスラーム世界で奴隷になったのに対し、黒人は人間性にほどとおく、動物に近いために、奴隷になったとしている。

サウジやイエメンでは奴隷制が1962年まで続いていた

実際、時代を経るにつれて、イスラーム世界においてトルコ人やヨーロッパ人の奴隷は減少していったが、黒人奴隷は最近まで存続していた。サウジアラビアやイエメンで奴隷制度が公式に廃止されたのは1962年である。

アラビア半島やペルシア湾岸諸国には、今でもそれぞれの国の国籍を有する肌の色の黒い人がたくさんいる。スポーツ選手などに多いことから、大枚はたいして外国から輸入したという説もあるが、実は彼らの多くは祖先が奴隷であったと考えられる。現在、そうした黒人たちは、それぞれの国が石油の富で豊かになるにつれて、その豊かさを共有できるようにもなっている。ただ、だからといって中東やイスラーム世界で肌の色による差別がまったくないかというと、そう言い切る自信はない。

クウェートの前の首長(アミール)だったサァドは、皇太子時代、その大らかな人柄から国民の人気も高かった。だが、その一方で、彼は絶対に首長になれないと断言するクウェート人もそれなりに存在していた。彼の母親が黒人(奴隷ともいわれる)だったことが理由であった。

【関連記事】サウジ国王来日 主婦はほんとに爆買いにしか関心ないんですかね

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究顧問。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授、日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長等を経て、現職。早稲田大学客員上級研究員を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米メディケア、15品目の薬価交渉で36%削減 27

ビジネス

豪CPI、10月は前年比+3.8%に加速 緩和サイ

ワールド

訂正-FRB議長人選、2次面接終了へ クリスマス前

ビジネス

午前の日経平均は続伸、一時1000円超高 米株高を
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ガザの叫びを聞け
特集:ガザの叫びを聞け
2025年12月 2日号(11/26発売)

「天井なき監獄」を生きるパレスチナ自治区ガザの若者たちが世界に向けて発信した10年の記録

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 2
    【銘柄】イオンの株価が2倍に。かつての優待株はなぜ成長株へ転生できたのか
  • 3
    老後資金は「ためる」より「使う」へ──50代からの後悔しない人生後半のマネープラン
  • 4
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファ…
  • 5
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 6
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 7
    放置されていた、恐竜の「ゲロ」の化石...そこに眠っ…
  • 8
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 9
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 10
    7歳の娘の「スマホの検索履歴」で見つかった「衝撃の…
  • 1
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 2
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判殺到、そもそも「実写化が早すぎる」との声も
  • 3
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 4
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 7
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 8
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 9
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナ…
  • 10
    【銘柄】イオンの株価が2倍に。かつての優待株はなぜ…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 7
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦…
  • 8
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 9
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story