コラム

ジャマル・カショギがジャマール・ハーショグジーであるべき理由

2018年10月22日(月)18時15分

ちなみに、Khashoggiの冒頭のaは長母音である。上に述べたとおり、アラビア語では短母音と長母音では表記も違うし、意味もちがってしまう。したがって、「ハー」と表記するのが正しい。

Shは日本語と同じ発音でいいが、むずかしいのはそのあとのoggiである。標準アラビア語には実は「オ」という母音はない。標準アラビア語では「ウ」で表記される。さらにそのあと2つのGのうちの最初のG、こちらも標準アラビア語だとQで表され、日本語ではカ行で転写される。したがって、標準アラビア語では「ハーショグ」ではなく、「ハーシュク」となるわけだ。

実はこのあたり、アラビア語の固有名詞の表記の悩ましいところでもある。標準アラビア語がいいのか、方言、あるいは実際に話している音をとるのか、こちらについてはアラブ研究者のあいだでも意見がわかれる。古典研究者は標準アラビア語でだいたい一貫しているが、現代の研究者の場合、どちらをとるか実は一致していない。

わたし自身は、原則として方言や音に寄せた表記をとっているが、標準アラビア語での表記も捨てがたい。たとえば、アブドゥッラーというごくふつうの人名は、標準アラビア語からの転写で(もっと厳密にいえば、アブド・アッラーというケースもある)、日本ではよくアブドラとか表記される。しかし、アブドラさんに直接、あなたの名前は何というのか尋ねてみれば、アブドラは論外としても、アブドゥッラーではなく、たぶんアブダッラーと答える人が多いのではないだろうか。こちらは方言や口語である。

たとえば、ムハンマドもそうで、標準アラビア語と同様、ムハンマドと呼ばれることも多いが、モハンマド、モハンメド、ムハンメド等、口語だと正解はない(ちなみに、トルコ語だとメフメト、ペルシア語だとモハンマドとなるのが一般的)。

ダイアナ元英皇太子妃の恋人ドディーの従兄弟?

サウジアラビアは公用語がアラビア語なので、ハーショグジーの母語もアラビア語だと思われがちだが、正確にいえば、彼の母語はアラビア語のなかのヒジャーズ方言である。それゆえ、ハーショグジー家のメンバーの多くは自分の姓の英語表記として方言の音にもとづく表記を選んでいる。わたしもそれを尊重した表記をしている。

カショギという表記が欧米メディアの発音に影響を受けたというのは容易に想像できる。この名前で有名になったのは彼が最初ではない。今から数十年前、もっともチャーミングな武器商人と謳われたアドナン・カショギが最初だろう。当時、彼の名前が欧米メディアでカショギと発音されたため、日本のメディアもそれに引きずられたと推測される。

ちなみにアドナン・カショギはもちろんアドナーン・ハーショグジーと読むのが原音により忠実だ。なお、アドナーンの父はムハンマドといい、サウジアラビアの初代国王アブドゥルアジーズの侍医だったことで知られる。それだけハーショグジー家はサウジアラビアでは名門ということができる。

また、アドナーン・ハーショグジーには、サミーラという姉だか妹だかがおり、その息子が、英国のダイアナ元皇太子妃の恋人で、自動車事故でいっしょに亡くなったドディー・ファーイドである。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究顧問。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授、日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長等を経て、現職。早稲田大学客員上級研究員を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

次回利上げ提案、確たること申し上げられない=田村日

ビジネス

英GDP、8月は前月比+0.1% 予想と一致

ワールド

タイ・カンボジア軍事衝突につながった地雷、最近埋設

ワールド

ロス大規模山火事、放火疑いで逮捕の男を起訴 12人
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:日本人と参政党
特集:日本人と参政党
2025年10月21日号(10/15発売)

怒れる日本が生んだ「日本人ファースト」と参政党現象。その源泉にルポと神谷代表インタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    まるで『トップガン』...わずか10mの至近戦、東シナ海で「中国J-16」 vs 「ステルス機」
  • 2
    フィリピンで相次ぐ大地震...日本ではあまり報道されない、被害の状況と実態
  • 3
    「欧州最大の企業」がデンマークで生まれたワケ...奇跡の成長をもたらしたフレキシキュリティーとは
  • 4
    「心の知能指数(EQ)」とは何か...「EQが高い人」に…
  • 5
    イーロン・マスク、新構想「Macrohard」でマイクロソ…
  • 6
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 7
    【クイズ】アメリカで最も「死亡者」が多く、「給与…
  • 8
    日本で外国人から生まれた子どもが過去最多に──人口…
  • 9
    【クイズ】サッカー男子日本代表...FIFAランキングの…
  • 10
    「中国に待ち伏せされた!」レアアース規制にトラン…
  • 1
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 2
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな飼い主との「イケイケなダンス」姿に涙と感動の声
  • 3
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以外の「2つの隠れた要因」が代謝を狂わせていた
  • 4
    【クイズ】日本人が唯一「受賞していない」ノーベル…
  • 5
    中国人が便利な「調理済み食品」を嫌うトホホな理由…
  • 6
    まるで『トップガン』...わずか10mの至近戦、東シナ…
  • 7
    ベゾス妻 vs C・ロナウド婚約者、バチバチ「指輪対決…
  • 8
    フィリピンで相次ぐ大地震...日本ではあまり報道され…
  • 9
    時代に逆行するトランプのエネルギー政策が、アメリ…
  • 10
    「中国のビットコイン女王」が英国で有罪...押収され…
  • 1
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 2
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ監督が明かすプレーオフ戦略、監督の意外な「日本的な一面」とは?
  • 3
    カミラ王妃のキャサリン妃への「いら立ち」が話題に...「少々、お控えくださって?」
  • 4
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 5
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 6
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 7
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外…
  • 8
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 9
    数千円で買った中古PCが「宝箱」だった...起動して分…
  • 10
    【クイズ】日本人が唯一「受賞していない」ノーベル…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story