コラム

世界に広がった「性奴隷」の誤解をいかに解くか

2014年10月15日(水)20時06分

 朝日新聞の誤報問題は国際的な広がりをみせ、韓国以外のメディアも「朝日の失敗」を取り上げているが、慰安婦問題については論評を避けている。先月のニューズウィークのコラムで冷泉彰彦氏は「朝日の誤報で日本は誤解されていない」と主張しているが、その根拠は何もあげていない。誤解されている証拠は、いくらでもあげられる。

 たとえば世界最大の人権団体、アムネスティ・インターナショナルは、今年6月に日本政府に対して「日本軍性奴隷制の生存者に対する責任を全面的に認めよ」などという要請を出した。同様の国連人権委員会への請願には世界150万人から署名が集まり、27ヶ国で「慰安婦非難決議」が採択されたという。

 こういう誤解の原因は、ほとんどが朝日新聞の誤報にミスリードされた人々が英語で書いた記事だが、彼らのいう性奴隷とは何だろうか。これが慰安婦をさすとすれば、日本政府はその存在を否定したことはなく、1993年に責任を認めてアジア女性基金という形で補償もした。ところが、彼らは「日本政府は責任を全面的に認めていない」という。この場合の性奴隷は、日本軍による強制連行のことだろう。

 このように慰安婦の存在と強制連行を混同して性奴隷というどぎつい言葉で呼ぶのが、彼らの特徴だ。この先例をつくったのが、1996年に出た国連のクマラスワミ委員会の報告書である。ここでは(朝日新聞が誤報と認めた)吉田清治の証言と北朝鮮などの自称元慰安婦の疑わしい話を根拠にして、日本の「軍性奴隷制」を告発している。

 しかし吉田の話が嘘であることは90年代後半には多くの人の知るところとなり、クマラスワミ報告も相手にされなくなった。それをバージョンアップしたのが、2007年にニューヨーク・タイムズのノリミツ・オオニシ記者の書いたインドネシアの慰安婦の記事である。

 この事件の前に第1次安倍政権は「強制連行の証拠はない」という閣議決定を出したが、オランダ人の女性が記者会見を開いて「私が慰安所に強制連行された」と証言したため、「安倍首相の否定した強制連行が見つかった」というスクープが、NYタイムズの1面トップを飾った。

 実はこれは新事実ではなく、1993年の河野談話で問題になった「官憲等が直接これに加担した」という表現は、この「スマラン事件」のことだった。これについては1948年に行なわれた戦犯裁判の記録が残っており、慰安婦を連行した兵士や将校は有罪判決(最高は死刑)を受けている。ジャカルタの第16方面軍司令部は、この事件の報告を受けたとき、慰安所の閉鎖を命じた。

 つまりこの事件は、日本軍が慰安婦の強制連行を禁じていたことを示す証拠なのだ。被害者にとっては「軍服を着た人に連行された」とみえただろうが、それは軍司令部の命令ではなく、単なる軍紀違反だった。しかしNYタイムズが「安倍首相は歴史修正主義者だ」というイメージを植えつけたため、彼は「広義の強制はあった」と発言を軌道修正し、発言を封じられてしまった。

 このように「性奴隷」という言葉で問題をごちゃごちゃに語る海外メディアが、誤解を拡散させた元凶である。性奴隷という言葉は、今でも人身売買の意味で使われるが、その意味での性奴隷は戦時中はどこの国でもあり、今でもある。人身売買で刑事責任を問われるのは、売買を行なった業者であって政府ではない。

 しかし「慰安婦はいたが強制連行はなかった」とか「政府は民間の人身売買に責任はない」といっても、海外の大衆は聞く耳をもたない。彼らの脳内には性奴隷という強烈なイメージが焼きついているので、論理では説得できないのだ。アメリカ国務省も強制連行がなかったことは知っているが、「強制の有無を争っても日本に勝ち目はない」という。

 このままでは「日本人は性犯罪者なのに罪を認めない」という国際的な評価が歴史に残ってしまう。韓国政府や国連は、永遠に日本政府を糾弾し続けるだろう。政府が何もできないとしても、少なくとも朝日新聞は、過去の慰安婦報道を全面的に撤回し、世界のメディアに謝罪広告を出して誤解を払拭する責任がある。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

小泉防衛相、中国軍のレーダー照射を説明 豪国防相「

ワールド

米安保戦略、ロシアを「直接的な脅威」とせず クレム

ワールド

中国海軍、日本の主張は「事実と矛盾」 レーダー照射

ワールド

豪国防相と東シナ海や南シナ海について深刻な懸念共有
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺るがす「ブラックウィドウ」とは?
  • 4
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 5
    ホテルの部屋に残っていた「嫌すぎる行為」の証拠...…
  • 6
    「搭乗禁止にすべき」 後ろの席の乗客が行った「あり…
  • 7
    仕事が捗る「充電の選び方」──Anker Primeの充電器、…
  • 8
    ビジネスの成功だけでなく、他者への支援を...パート…
  • 9
    『羅生門』『七人の侍』『用心棒』――黒澤明はどれだ…
  • 10
    【クイズ】アルコール依存症の人の割合が「最も高い…
  • 1
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺るがす「ブラックウィドウ」とは?
  • 4
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 5
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%…
  • 6
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 7
    【クイズ】アルコール依存症の人の割合が「最も高い…
  • 8
    ホテルの部屋に残っていた「嫌すぎる行為」の証拠...…
  • 9
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇…
  • 10
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 8
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story