コラム

「エネルギー・環境の選択」はSF映画のシナリオ

2012年08月03日(金)14時21分

 政府の国家戦略室に設置されたエネルギー・環境会議は、2030年に「原発依存度」を何%にするかの選択肢について、全国で意見聴取会を開いている。8月1日に福島市で行なわれた意見聴取会では30人の登壇者のほぼ全員が「0%」を主張し、これまでの全国の意見聴取会の意見表明希望者数の内訳でも、70%が「0%」を選択している。

 それは当然だ。他の条件を無視して「原発があったほうがいいかないほうがいいか」と質問したら、ないほうがいいに決まっている。もし政府が「消費税は何%がいいか」という選択肢で意見聴取をしたら、同じく「0%」がトップになるだろう。それが民意なら、消費税をなくすのだろうか。エネルギー政策のような専門的な問題を、素人の民意で決めようというのがナンセンスだ。

 意見聴取の対象になっているエネルギー・環境に関する選択は、常識では理解できないものだ。最初に「原発依存度を可能な限り減らす」という前提が置かれ、2030年の原発依存度について0%と15%と20~25%の3つの「シナリオ」が示されるが、それを具体的にどう立法化するのかは書かれていない。これは法的拘束力のない「人気投票」なのだ。

 0%シナリオを実現するには、原発の運転期間を40年としている現在の方針を変えて、寿命の残っている原発を廃炉にしなければならないが、そのためには電力会社に数兆円の損害を強要する必要がある。さらに水力を除く再生可能エネルギーで全電力の24%をまかなうことになっているが、今2%しかない太陽光や風力エネルギーを12倍にすることが可能だと思っている専門家はいない。

 原発をゼロにすると、どういうメリットがあるのだろうか。このシナリオには、それは何も書かれていない。国家戦略室の資料によれば「原発事故の甚大な被害や地震国の現実を直視し、徹底した安全対策の強化」をするのだから、原発をゼロにする必要はないはずだ。皮肉なことに、このシナリオは政府がいまだに「安全神話」によりかかっていることを示している。

 他方、原発をゼロにするとエネルギー価格は大幅に上がり、政府の計算でも2030年のGDP(国内総生産)は「自然体」に比べて最大8%マイナスになる。今後20年間の成長のほぼ半分が、原発を減らすことで吹っ飛ぶ計算だ。メリットは何もないのに成長率が半減するシナリオが、経済政策の名に値するのだろうか。

 根本的な間違いは「原発依存度」などという無意味な目的関数を設定したことにある。経済政策の目的は、社会的コストの制約の中で成長率を最大化することであり、原発依存度などというものは、その結果として出てくるに過ぎない。成長率を最大化するには政府が介入しないで電力会社が市場原理にもとづいて発電すればよいが、環境への影響や事故のリスクなどの外部コストがある場合には、政府が規制する必要がある。

 こうした観点から、EU(ヨーロッパ連合)はExtern Eというプロジェクトで、エネルギーの外部コストを計算している。それによれば、原子力の外部コストはkWhあたり0.25ユーロ(24円)で、石炭火力の2.55ユーロの1/10だ。直接コスト(運転にかかる経費)はほぼ同じなので、両方を合計した社会的コストは、原子力が火力よりはるかに低い。この原因は石炭火力が大量温室効果ガスを出し、大気汚染や採掘事故によって世界で毎年数万人が死亡しているからだ。石炭火力は、原子力よりはるかに多くの人命を犠牲にしているのだ。

 再生可能エネルギーの外部コストは原子力より低いが、直接コストは原子力よりはるかに高いので、社会的コストは原子力がもっとも低いというのがEU委員会の結論である。社会的コストの計算には不確定要因が多いので、これが唯一の評価ではないが、論理的にはこのように社会的なコストとメリットを比較して効率的なエネルギー構成を考えるのが当然であり、発電手段の比率を目的として設定するのは本末転倒だ。

 そもそも政府のシナリオは、何のためにつくったのだろうか。資料には「8月に決定するエネルギー・環境戦略を受け、速やかにエネルギー基本計画を定める」と書かれているが、基本計画を定めるのは経済産業省である。国家戦略室は首相の諮問機関で立法する権限はないので、これは参考資料に過ぎない。

 今年中に解散・総選挙が行なわれると消えてなくなる民主党政権が、20年後のシナリオなんか書いても、SF映画みたいな空想である。すでに霞ヶ関は「大事なことは次の政権で」という先送りモードに入っており、経産省も「お手並み拝見」(資源エネルギー庁の課長)という姿勢だ。これも民主党が「政治主導」と派手に打ち上げるのはいいが、肝心の法律は官僚が書いて換骨奪胎される、といういつものパターンに落ち着きそうだ。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

独仏英、イランに核開発巡る協議を提案 中東の緊張緩

ワールド

イスラエルとイランの応酬続く、トランプ氏「紛争終結

ワールド

英、中東に戦闘機を移動 地域の安全保障支援へ=スタ

ワールド

米首都で34年ぶり軍事パレード、トランプ氏誕生日 
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 2
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 3
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生きる力」が生んだ「現代医学の奇跡」とは?
  • 4
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 5
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 6
    構想40年「コッポラの暴走」と話題沸騰...映画『メガ…
  • 7
    逃げて!背後に写り込む「捕食者の目」...可愛いウサ…
  • 8
    「結婚は人生の終着点」...欧米にも広がる非婚化の波…
  • 9
    4年間SNSをやめて気づいた「心を失う人」と「回復で…
  • 10
    メーガン妃の「下品なダンス」炎上で「王室イメージ…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 7
    ふわふわの「白カビ」に覆われたイチゴを食べても、…
  • 8
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 9
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 10
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 1
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 2
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story