コラム

燃え広がった反日デモと「愛国」の正体

2012年10月03日(水)09時00分

(編集部注:本稿はNewsweek日本版10月3日号「反日の行方」特集に掲載されました)

 9月18日、81年前の柳条湖事件の記念日に「予告どおり」、中国の100都市で尖閣諸島(中国名・釣魚島)の「国有化」に抗議する反日デモが起きた。だが、これほどの広範囲にもかかわらず、参加者は合計でも数万人レベル。7月1日に人口わずか700万人余りの香港で起こった政府への抗議デモに40万人が集まったことに比べたら、13億人の中国からすれば大きなものでない。

 ただ香港のデモは平和的だったが、数万人の中国人は激しい破壊をもたらした。各地で「日本」に関わるすべてをあぶり出し、破壊し、略奪し、たたきつぶす......。事態を見守っていた人々の口からは「狂気の沙汰だ」「文革そっくりだ」という声が漏れた。

 昨年初めに中東から飛び火しかけたジャスミン集会騒ぎでは、ネットで集会の噂を転送しただけのネットユーザーが多く拘束された。それからすれば、今回のデモなど当局にとっては簡単に規制できるものだった。それをやらなかった──つまり、今回は明らかに政府による官製デモだった。ネットユーザーはそれを、「中国では政府が自発と呼ぶデモは(政府に)組織されたもの、組織されたというのは自発的なデモ」と皮肉った。

 しかし、なぜ事態はここまで悪化したのか。なぜここまでの破壊活動を許したのか。人々の怒りはなぜこんなに燃え上がったのか。今回の事件は多くの「なぜ」が飛び交っている。

「政権交代目前の指導部が最後に対日強硬姿勢をイメージづけたかった」「指導部内の対立で、誰かがこれに乗じて起死回生を図った」「国内に渦巻くさまざまな不満のガス抜きをした」「貧富の差に不満を持つ人たちが政府に対して立ち上がった」「中央政界入りを狙っていたが、腹心の裏切りで失脚した薄煕来・元重慶市党委書記とそのシンパが起死回生を求めて悪あがきをした」――。

 最初はそのどれにも一理あるかのように見えた。だがデモの規模が拡大、行動が激化し、そして街頭だけではなく税関でも日本からの輸入品に念入りな検査が行われるようになり、経済監督機関の工商局が日系企業に「検査」と称して踏み込んで徴税。さらに漁業管理当局が1000隻もの漁船を威嚇のために出港させるに至り、これほどの国家権力を動かせるのは貧しい人たちの不満でも、指導部の一部の反乱でも、もちろん失脚した人間の悪あがきでもないことが明らかになった。

 それをできるのは唯一人、国家主席である胡錦濤だ。つまりこの一連の騒ぎは、胡錦濤の命令で引き起こされたとみられる。だが退陣間近の国家主席がなぜ、10年間の自分の在位中に急速に発展し、築き上げた「繁栄する中国」を破壊し、その様子を日本だけではなく世界にさらしたのか。

 その答えは「メンツ」だ。

 たかがメンツで、と思うだろうか。だが実際に目の前で起きた事態をもう一度見直してほしい。やっと築き上げてきた街並みを、経済発展を、国が組織してこれほどまでの破壊に導くこと自体、異常ではないか。その異常さの原点が、日本人の理解を超えた、胡錦濤の、そして中国人が共有するメンツへのこだわりだ。

 9月9日、ロシア・ウラジオストクのAPECに出席した野田佳彦首相と胡錦濤主席は非公式な「立ち話」という形で言葉を交わした。メディアによると、胡主席は「国有化は受け入れられない。誤った決定を下すことなく、日中関係の大局を維持してほしい」と語り、野田首相は「大局に立って処理したい」と答えたといわれている。だがその2日後に尖閣は国有化された。

「日本はなぜ今回そこまで強硬なんだ? 胡錦濤はメンツ丸つぶれだよ」。複数の中国メディア関係者の口からも日本の強硬さが胡錦濤のメンツをつぶした、と言う声を聞いた。さらに日本政府から中国へ「国有化決定」が正式に伝えられたのが、外務省の局長レベルだったという説もある。それも中国政府、特に退陣間近い胡錦濤にとって愉快なことではなかったはずだ。

 今年4月に石原慎太郎・東京都知事が都による購入計画をぶち上げたときから、中国は静かに事態の進展を見守ってきた。もちろん石原発言直後に外交部は抗議の声を上げ、政府系メディアも批判記事を掲載したが、かつての教科書問題や閣僚の靖国参拝のように、メディアからメディアへと批判が連鎖することはなかった。いや、明らかに政府がそれを起こさせなかった。

 中国共産党への敵対心を隠さない石原都知事の尖閣を「買う」という発言には日本人ですら驚いたのに、主権を主張する中国にとって収まりがつくわけがない。だが、中国はあえて石原都知事とその支援者を刺激するのを避けていた節がある。

 つまり、中国政府には「我慢に我慢を重ねて、騒がずに日本政府のメンツを立ててやった」という思いがあったのだろう。国有化を「事態を悪化させないための、やむにやまれぬ国有化」と見なしていた日本政府は、追い詰められた中国政府の我慢に気付いていなかったのだ。

 日本政府の鈍感さに胡錦濤が怒りを爆発させた背景も重要だ。中国でも理性的な調査報道で定評のある経済誌「新世紀」の張剣荊記者がこう分析している。


 80年代から90年代にかけて、中日両国間には日本は技術や資金で、そして中国は市場で強く良好な関係を維持しようという共通意識があった。しかし今やそれは変わった。中日間の戦略的な需要は大きく減り、中国にとって世界的に見た戦略的パートナーとして日本は不足だ。また東アジアにおいて歴史的な問題の制約を受ける日本は、しっかりとした足場を持った戦略的協力者にはなり得ない。両国は戦略面では競争関係にもある。このため中日関係は友好レベルにとどまり続け、戦略的協力レベルへと昇華できなかった。

 そんなふうに世界に一目置かれる大国となった中国、特にその前面に立ってきた胡錦濤にとって、GDPでも追い抜いた日本は既にいちいちぺこぺこする必要のある相手ではなくなった。さらに必要以上に遠慮しなければならない相手でもない。そんな日本の首相が自分の目を見詰めて「大局に立って」と言った翌々日に手のひらを返した、そう胡は理解したのである。

 もともとチベット、新疆ウイグル、そして台湾を抱える中国にとって、領土問題は国内的に非常に敏感な案件である。胡錦濤は経済発展をもたらした首脳としてこのまま有終の美を飾ろうとしていた最後に、尖閣の国有化を突き付けられてメンツを失い、その怒りをぶちまけた。

「愛国」にすり替えられたこの「メンツ」こそ官製デモを引っ張り、統率するポイントだった。胡錦濤および首脳部はその怒りを「わが国が侮辱された」という形で、国民の「愛国」意識に訴えた。ただ実際は本当の愛国心ではなく「国のメンツ」によって人々の怒りをあおったのである。「国を焼き尽くしても(あるいは墓場だらけになっても)釣魚島は中国のもの」という、一見本末転倒なスローガンが現れたのもそのためだ。

 毛沢東の肖像画があちこちで出現したのもそこが理由だった。中国国内における毛沢東は「日本軍に勝利した指導者」である。実際に当時日本軍と戦ったのはのちに台湾に敗走した中華民国軍だが、中国国内では共産党が勝利したことにされている。デモ参加者は「自分たちを侮辱した」日本に対し、抗日英雄である「毛沢東」の絵を持ち、それを護身符にしたのだ。

 だが、その様子を見ていた同じ中国人に激震が走った。毛沢東に「暴君」のイメージを抱く人も少なくない。彼らは「威光」をかさに「愛国」という言葉にすり替えられたメンツを振り回して暴行が行われ、人々が住み慣れた街で破壊行為が行われたことに愕然とした。その多くの人たちはここ10年の経済発展の結果、自分たちがいま手にしたものを大切に思う、つまり所有権というものを意識している人たちだった(日本車の持ち主も多くがこの層だ)。

 一方でメンツを盾にたけり狂ったグループは2種類の人たちで構成されていた。1つは日頃から政府や国の威光を借りて好き勝手をしてきた人たち。つまり、政府系の機関や国や権力をバックに儲けてきた企業関係者だ。社会主義の中国ではビジネスの場でもいまだに権力中枢とのコネが大きくものをいう。

 今回のデモではそんな機関や企業の職員に動員がかけられた。実際、日本大使館前のデモが始まる前日の今月14日夜、香港メディアの記者と北京市内のレストランで夕食を取りながら情報交換をしていた私に、話を聞き付けたウエーターが「明日朝9時に日本大使館までデモに行くんだ」と話し掛けてきた。われわれを同志だと勘違いしたらしい彼に尋ねたところ、あっけらかんと「昼間働いている会社で声が掛かったんだよ。思い切りやってくる」と打ち明けた。

 もう1つのタイプは、国の発展に自分の発展を重ね合わせ、そこに自分の夢を描いている人たち。まだ若く、地方から都会へ出てきて「新しい何か」が自分を待っているはずと期待している人たちだ。彼らは国とその発展に期待しているから、簡単に上昇傾向にある国のメンツを自分のそれと重ねる。中国政府は今回、こんな人たちの「メンツ意識」を巧みに利用した。

 本当に貧しい人たちの姿はそこにはない。彼らは国の威光を借りることもできず、また経済発展の恩恵も受けてこなかった。だから彼らにとって「国」というメンツは自分から遠い他者のものであり、街を破壊しても自分が得られるものは何もない。

 だが、街の破壊は政府にとっても誤算だったらしい。政府は大量の警察関係者をデモ隊に潜り込ませて反政府活動になるのを抑えた上でデモを決行したという証言が、あちこちから出ている。だが、ムードにあおられた人があちこちで破壊工作に走ってしまった。

 中国政府はこの破壊の結果をどうやって収拾させるのだろうか。破壊されたのはモノだけではない。それを目にした人々の気持ちはそう簡単に消せないだろう。天安門事件のようにメディアの口を封じ、消し去れば、人々は自然に忘れていくと思っているのかもしれないが。

■日本政府の対応が後手に回った訳

 日本にとって隣国である中国は、今後経済的な関係が薄まったとしても、未来永劫付き合っていく必要がある相手だ。そのためにはまずきちんとした対中外交の姿勢を再建すべきだが、今回明らかに日本政府の首脳は「中国人の思考方法」を計算に入れていなかった。そのミスはどこで起こったのか。

 中国対策を最前線で担当する北京の日本大使館は、暴動発生中も中国語のマイクロブログでのんびりと「マリモ」「鶴岡八幡宮観光案内」「シルバーウイーク」などを中国市民に向かって紹介し続ける意識しかなかったことは、記憶に留めておくべきだ。

 リスク管理の甘さはメディア対策にも表れている。事件発生後に報道規制が敷かれるなか、多くの良心的な中国人ジャーナリストが何が起こったのかを市民に知らせようと駆けずり回って情報を集めていた。だが、日本の公的機関も企業の多くもその取材依頼を「中国メディア」とひとくくりにして拒絶した。

 今後、日本政府としては「尖閣国有化」が「領土問題の一時棚上げ」という原則の延長上にあることをきちんと、粘り強く中国、そして中国社会にアピールしていく必要がある。そこで中国社会に向けて発信できるメディアの存在は非常に大きい。

 その一歩を踏み出すには、この言葉を参考にすべきだ。中国人ネットコラムニスト兎主席が、今回の暴動を目にして中国人に向け発信した分析の一部である。

 
 中国政府は中国の大衆よりも現実的で、そして多様な目的を持っている。民選による政府ではないために大衆をコントロールする力が強く、大衆から受ける影響も制御でき、日本政府に比べれば必要に応じて非公式な話し合いに応じることが容易だ。だが、日本が公開の場において中国のメンツを不利にする行動を取るなら(そして大衆を怒らせれ)ば、中国政府の選択の範囲は狭まる。逆に中国はそのような民衆の力を利用して日本に制約を加えることができるのだ。一方、日本は相対的に透明な民選による政府だ。一挙一動を野党に観察され、問われ続け、批判を受ける。民意と選挙が政治に大きな影響を与えており、非常に予測性の高い行動を取る。

「必要に応じて非公式な話し合いに応じることが容易」な中国に向けて何をすべきか、日本政府はそこを考えるべきだ。庶民には事件の後始末はできない。大使館、外務省もひっくるめた日本政府が知恵を振り絞るしかない。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

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