コラム

「脱人間化の極限」に抵抗するアウシュビッツのゾンダーコマンドの姿に深く心を揺さぶられる

2016年01月08日(金)16時00分

ゾンダーコマンドとは、同胞であるユダヤ人の死体処理に従事する特殊部隊のこと。ネメシュ・ラースロー監督『サウルの息子』

 2015年のカンヌ国際映画祭でグランプリに輝いたのは、ハンガリー出身の新鋭ネメシュ・ラースロー監督の長編デビュー作『サウルの息子』だった。その舞台は1944年10月のアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。主人公のサウルは、ハンガリー系のユダヤ人で、ゾンダーコマンドとして働いている。ゾンダーコマンドとは、ナチスが選抜し、数か月の延命と引き換えに、同胞であるユダヤ人の死体処理に従事する特殊部隊のことだ。

 この映画では、空間と時間が極度に限定されている。カメラは常にサウルに張りつき、彼の顔や背中、周囲の状況だけを映し続ける。この主人公の物語は2日間で終わる。それだけで一体なにが描けるのか。実際に映画を観ると、設定、構成、カメラワークなどに深い意図があることがわかる。

 ネメシュ監督はまず、ゾンダーコマンドにしか目にすることができない現実に迫る。それは収容所の本質ともいえる。そこで筆者が思い出していたのは、ジョージ・リッツアが世界を覆う徹底的な合理化を検証した『マクドナルド化する社会』のことだ。リッツアは本書でホロコーストにも言及し、アメリカの学者ヘンリー・ファインゴールドの以下のような文章を引用している。


[アウシュヴィッツとは]、近代工場制度のありふれた拡張である。財貨を生産するのではなく、むしろ原材料が人間であり、最終生産物が死なのである。一日ごとに多数の単位が、管理者の生産チャートに計画的に記入されていく。煙突は、まさに近代工場システムを象徴しており、燃焼する遺体の発する異臭を含んだ煙を大量に吐き出していた。近代ヨーロッパのみごとに組織化された鉄道網によって、新種の原料が工場へと運ばれてきた。運び方は、他の積荷と同じやり方だった......。
 エンジニアたちは焼却場を考案した。管理者は効率的に作動する官僚制システムをきまじめに考案した。われわれが目にしたのは、社会工学の大規模な計画に他ならなかった。

 ナチスは、自分たちの作業を遂行するのにユダヤ人を使うのが効率的であることを発見した。ネメシュ監督はそんなゾンダーコマンドの目を通して現実をとらえる。但しそれは、ドキュメンタリー・タッチとは明らかに違う。なぜなら普通の精神状態でそんな作業ができるはずがないからだ。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、宇宙軍司令部アラバマ州に移転へ 前政権

ビジネス

米ISM製造業景気指数、8月は48.7 AI支出が

ワールド

トランプ政権のロスへの州兵派遣は法律に違反、地裁が

ビジネス

米クラフト・ハインツ、会社分割を発表 ともに上場は
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 2
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 3
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 4
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 5
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 6
    トレーニング継続率は7倍に...運動を「サボりたい」…
  • 7
    トランプ関税2審も違法判断、 「自爆災害」とクルー…
  • 8
    「人類初のパンデミック」の謎がついに解明...1500年…
  • 9
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 10
    世界でも珍しい「日本の水泳授業」、消滅の危機にあ…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 4
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 5
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 6
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 7
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 8
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 9
    「人類初のパンデミック」の謎がついに解明...1500年…
  • 10
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 1
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大ベビー」の姿にSNS震撼「ほぼ幼児では?」
  • 4
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 5
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 6
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story