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パスタな国の人々

宮本さやか|イタリア

再ロックダウン??のイタリア。 感染拡大の原因はイタリア人が不潔だからという件について。

鼻をハンカチでかむというのも、同じように歴史的環境的な理由があると思う。石がふんだんにあり、家や建物は全て石でできているイタリアでは、逆に木は貴重で、木の床などは高貴な方々の家でだけ許されていたと、どこかの城を見学している時にガイドさんが言っていた。そのせいか木から作る紙製品もイタリアでは日本のように安くない。ノートも高いし、箱ティッシュも高く、量が少ない。それを考えたら、ハンカチで鼻をかみ、それをポケットにしまっていた一世代前の人たちを笑うなんてひどいじゃないか。最近のエコ的感覚で言えば、ハンカチで鼻をかんで、洗ってまた使う方が新しい感性と言えなくもない。アメリカ文化の影響を多大に受けている日本では、便利、スピード感が重要視され、使い捨て文化が発達しているが、歴史の長いヨーロッパでは、必ずしも便利なことが美しい、正しいと思われない文化背景がある。

ちなみにイタリアのティッシュは紙が厚くて大きいので、ちょっとした鼻の湿り気を拭いただけで捨てるのは、勿体無い気がしてたしかにポケットにしまいたくなる。イタリアに住んですぐは、その分厚い感じが嫌で、日本の母に日本のティッシュを送ってもらったものだが、イタリアのティッシュに慣れた今は、日本の薄くて小さいティッシュでは、心もとない感じがしてしまう。

こんなふうに私がイタリア人の肩を持つと、きっと日本の人たちは「えー、でもイタリアの道にはゴミはいっぱい落ちているし、犬のフンもほっぽらかしじゃない」と思うだろう。その通りだ。道にゴミをポイ捨てしてほっぽらかすのは最悪のマナーだ。しかしそれも、イタリアの社会背景を理解して考える必要があるし、行儀が悪いと責めてもいいが、不潔というのとはちょっと違う。

犬のフンを掃除しないのは、もしかすると、掃除は私の仕事じゃない、という思考なのではないかと思う。イタリア人は、そしておそらく大体の欧米人は、自分の仕事が終わったら、同僚が隣で必死に残業していても、決して手伝うことはないからだ。それは冷たいとか、そういうことではなく、他人の領域には入らないというか、個人主義というか、役割分担が徹底されているというか。人の仕事を手伝うのは感謝されるどころか「仕事を取られる」と警戒されるからだ、と聞いたこともある。だからといって、自分の飼い犬のフンを放置するのは大きな勘違いなのだが、そういう背景があるからなのか、市場のとても多いトリノの街で、毎日昼頃に市がはけた後の広場はゴミだらけだ。それぞれの屋台の主が、不要になった商品の箱や野菜クズなどをほっぽらかしで帰ってしまうのだ。日本人の私はいつも、各自が片付けて帰ればそれで済むのに、と思う。でもそこへ巨大な清掃車がやってきてガーッとゴミをどけていくのを見ると、こうして雇用を生んでいるのかなあ、とも思ったり。同じ考え方から、学校でも、生徒に掃除をさせることはしない。でも最近では、生徒に掃除をさせる日本の教育は素晴らしい、とイタリアで報道されたりしている。

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ヨーロッパ最大級の青空市場、トリノの「ポルタ・パラッツォ」がひけた後。写真・著者撮影

Profile

著者プロフィール
宮本さやか

1996年よりイタリア・トリノ在住フードライター・料理家。イタリアと日本の食を取り巻く情報や文化を、「普通の人」の視点から発信。ブログ「ピエモンテのしあわせマダミン2」でのコロナ現地ルポは大好評を博した。現在は同ブログにて「トリノよいとこ一度はおいで」など連載中。

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