コラム

幻覚系ドラッグによる宗教的「悟り」は本物か偽物か

2018年06月28日(木)16時40分

アメリカでは最近になって幻覚剤を治療薬として使う研究が進められている agsandrew/iStock.

<マジックマッシュルームやLSDといった幻覚剤をポジティブに見直す動きがアメリカで出てきたが、その効果を実際に体験してみると......>

マイケル・ポーランは、2006年に刊行した『雑食動物のジレンマ(The Omnivore's dilemma)』が料理界のアカデミー賞と呼ばれる「ジェームス・ビアード賞最優秀賞」を受賞し、複数の大手新聞社で「年間ベストブックス」にも選ばれて一躍有名になったノンフィクション作家だ。

『雑食動物のジレンマ』は、「夕ご飯に何を食べよう?」というシンプルな問いかけから始まり、アメリカの食卓にのぼる食品を徹底的に探ったルポ。現代のスーパーではどの季節でも同じ野菜や果物が手に入るし、いわゆる「健康食」もブームだ。しかし、アメリカ人は健康になるより肥満や糖尿病がかえって増えている。

ポーランは、アメリカ人が口にするファストフードやオーガニックフードから工業的農業、有機農業、狩猟採集の食物連鎖をさかのぼり、雑食動物としての人間のジレンマを語る。アメリカ人が口にする食品のほとんどが元をたどればコーン(とうもろこし)だというショッキングな内容や、狩猟やキノコ狩りを自ら体験するところなど、面白くて印象深いノンフィクションだ。

その後も、ポーランは『ヘルシーな加工食品はかなりヤバい(In Defense of Food)』、『フード・ルール( Food Rules)』 など、文化や楽しみのための食事を大切にしつつ、自然なままの食品を摂ることを薦める本を書き続けていた。

ところが、ポーランの新刊『How to Change Your Mind(あなたの意識を変える方法)』は「サイケデリック・ドラッグ」がテーマだという。サイケデリック・ドラッグとは、LSD、シロシビン(マジックマッシュルーム)やヒキガエルから抽出されるDMTなどの幻覚剤のことだ。アメリカを含む多くの国で違法薬物とみなされており、厳しく取り締まられている。ポーランの健全なイメージからは想像できないテーマに驚き、かえって興味を抱いた。

自称「遅れてやってきたベビーブーマー」のポーランは、この本について調査をする前はLSDなどのサイケデリック・ドラッグには興味がなく、若い頃に体験したこともなかったという。そんな彼が、ノンフィクションライターとしての好奇心とプロの距離感を保ちながら書いたのがこの本だ。

幻覚剤を悪者にした張本人とは

マジックマッシュルームやヒキガエルは、古代からシャーマンなどにより宗教体験のために利用されてきた。

現在は厳しく規制されている薬物だが、アメリカではタバコやアルコールの依存症の治療薬として有望視され、精神心理の分野でオープンに研究されていた時代がある。

それが一変して現在のようにまともな研究者が話題にすらできなくした張本人としてよく名前が挙がるのが、当時ハーバード大学教授だったティモシー・リアリーだ。

1959年に新進の研究者としてハーバード大学に雇用されたリアリーは、60年の夏に初めてシロシビンを使ったときに、「脳は十分に活用されていない生物学的コンピュータだ。通常の意識は、知識の大海のひとしずくでしかない。この意識と知識は系統的に拡張することができる」という悟りを得た。そして、ハーバード大学を説得して、大学院生を対象にした「実験的な意識拡張」というセミナーを作った。

彼が行った「ハーバード・シロシビン・プロジェクト」の初期の実験は、科学的な研究とは呼び難いものだった。対象は主婦、ミュージシャン、アーティスト、学者、作家、同僚の心理学者、大学院生といった人々で、場所は大学施設ではなく、居間だった。しかも、ムードをかきたてるための音楽とキャンドルライトつきで。そのうえ、実験を客観的に観察すべきリアリーや助教授のリチャード・アルパートたちも一緒にシロシビンを使っていたという。

リアリーとアルパートは引き続き、「幻覚剤が宗教体験を促す」という仮説を証明するためにハーバード神学校の大学院生を対象にした有名な「聖金曜日の実験」を行い、犯罪者の再犯を減らすという仮説を証明するためにコンコード刑務所で囚人を対象にした実験を行った。

だが、方法のずさんさと危険性を懸念する意見が大学の内部からも出ており、それが学生新聞を通じてマスメディアにも広まり、リアリーはハーバード大学での職を失うことになる。

リアリーはその後もヒッピーのグル的な存在としてアレン・ギンズバーグなど多くの著名人とつながり、反戦運動の思想リーダーになり、オノ・ヨーコとジョン・レノンから「ベッドイン」イベントの収録に誘われた。余談だが、ビートルズの「カム・トゥゲザー」は、リアリーがカリフォルニア知事選に出たときの応援ソングとして作られた曲である。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

イスラエル首相、ガザ停戦交渉開始を指示 人質解放と

ビジネス

米中古住宅販売、7月は2%増の401万戸 予想上回

ワールド

米司法省、クックFRB理事を調査へ パウエル議長に

ワールド

再送-米EU、関税15%で共同声明 自動車も近く引
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
2025年8月26日号(8/19発売)

中国の圧力とアメリカの「変心」に危機感。東アジア最大のリスクを考える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精神病」だと気づいた「驚きのきっかけ」とは?
  • 2
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自然に近い」と開発企業
  • 3
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人」だった...母親によるビフォーアフター画像にSNS驚愕
  • 4
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 5
    夏の終わりに襲い掛かる「8月病」...心理学のプロが…
  • 6
    「このクマ、絶対爆笑してる」水槽の前に立つ女の子…
  • 7
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医…
  • 8
    米軍が長崎への原爆投下を急いだ理由と、幻の「飢餓…
  • 9
    ドンバスをロシアに譲れ、と言うトランプがわかって…
  • 10
    フジテレビ、「ダルトンとの戦い」で露呈した「世界…
  • 1
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに感染、最悪の場合死亡も
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人」だった...母親によるビフォーアフター画像にSNS驚愕
  • 4
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 5
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コ…
  • 6
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 7
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 8
    【クイズ】次のうち、「海軍の規模」で世界トップ5に…
  • 9
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 10
    債務者救済かモラルハザードか 韓国50兆ウォン債務…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 10
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story