コラム

大統領選の波乱を予兆していた、米SF界のカルチャー戦争

2016年12月20日(火)17時40分

 2016年のヒューゴー賞長編部門の受賞作は、フェミニストで人権問題での発言が多い黒人女性作家N・K・ジェミシンの『The Fifth Season』だった。黒人として初めてのヒューゴー賞受賞者だ。

 ラビッド・パピーズのリーダーVoxは、かつて自分のブログでジェミシンのことを「半野蛮人(half-savage)」と呼び、「我々は、明白な歴史的理由で、彼女(ジェミシン)のことを、完全に文明化された存在だとみなしていない。彼女は文明人ではない」とまで書いていた。アメリカのSF界ではよく知られている事件だ。

奴隷の歴史を反映

 受賞作の『The Fifth Season』は、非常に複雑なファンタジーだが、読み進めるうちに、アメリカの奴隷の歴史を反映しているのがわかる。

【参考記事】ボブ・ディラン受賞の驚きと、村上春樹の機が熟した2つの理由

 タイトルの「The Fifth Season」とは、遠い未来の地球で人類が滅亡に向かう終末期である。人類は過去に達成した高度な技術や文化を深く地下に埋め込んだ地表で細々と生き延びている。そして人類の敵は、怒れるFather Earth、つまり地球そのものなのだ。

 Father Earthは、自分を粗末に扱い、傷つけてきた人類を、地震や火山活動で全滅させようとしている。それを鎮めることができるのは、外見はふつうの人と変わらないミュータントのOrogene(オロジェン)だ。

 だが、生まれつき異常な能力を持つOrogeneを、人々は異質なものとして恐れ、蔑み、殺そうとする。一方で、人は人類存続のためにOrogeneを利用する。

 だから、Orogeneとして生まれた子どもの宿命は2つしかない。見つけた大人に殺されるか、Fulcrumという組織でトレーニングを受け、人類存続のために働くかのどちらかだ。たとえFulcrumでトレーニングを受けて熟練したOrogeneになっても、普通の人間のような自由もなければ、尊敬も得られない。Orogeneには1人のGuardianがつき、Guardianに背くと即座に死が待っている。そして、人々を救っても、見下され、蔑称で呼ばれる。

 Orogeneの葛藤は、アメリカの歴史で虐げられてきた黒人が体験する「不条理」を反映しているように思えてならない。そのせいなのか、ジェミシンの描く世界はとことん暗い。親子や恋人同志の関係の描き方からも、人間への徹底的な不信を感じる。

 読んで明るくなるような作品ではないが、壮大な世界観であり、読みごたえがある。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

イラン主要濃縮施設の遠心分離機、「深刻な損傷」の公

ワールド

欧州委、米の10%関税受け入れ報道を一蹴 現段階で

ワールド

G7、移民密輸対策で制裁検討 犯罪者標的=草案文書

ワールド

トランプ氏「ロシアのG7除外は誤り」、中国参加にも
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:コメ高騰の真犯人
特集:コメ高騰の真犯人
2025年6月24日号(6/17発売)

なぜ米価は突然上がり、これからどうなるのか? コメ高騰の原因と「犯人」を探る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロットが指摘する、墜落したインド航空機の問題点
  • 2
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 3
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 4
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 7
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 8
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 9
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 10
    コメ高騰の犯人はJAや買い占めではなく...日本に根…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 8
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 9
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 10
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊の瞬間を捉えた「恐怖の映像」に広がる波紋
  • 4
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 5
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 6
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 7
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 8
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 9
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
  • 10
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story