コラム

米国大統領選挙を揺さぶった二つのサイバーセキュリティ問題

2016年12月19日(月)18時00分

クリントン候補の電子メール問題

 そもそもクリントン候補の電子メール問題は、彼女が大統領選挙に正式に出馬表明する前からくすぶっていた。ニューヨークの自宅に置かれたサーバーによる私用の電子メールアカウントを国務長官のビジネスに用いたことは、彼女にとっては単なる利便性の問題だった。機密暴露が続いていた米国政府としては、いっそうの暴露を防ぐため、おそらくかなり使いにくい電子メール・システムを使っていたのだろう。それを回避するためにクリントン長官は私用の電子メールを公務にも使い始め、私用のメールと公務のメールが混在するようになった。

 ところが、2012年9月、リビアの東部ベンガジにある米国の領事館が襲撃され、居合わせた米国の大使を含む4人が死亡するという事件が起きてしまった。クリントン長官の電子メール問題が浮上すると、ベンガジ襲撃の前に長官の電子メールから機密が漏れ、それが原因で襲撃されたのではないかという疑問が生じ(その可能性は後に否定された)、クリントン候補の選挙戦について回る打撃になった。

訴追を逃れたクリントン

 クリントンはオバマ政権の第一期だけ国務長官を務め、2015年2月に辞任する。この頃から大統領選挙についての話題が始まるとともに、クリントン候補の電子メール問題も再び注目を浴びるようになる。3月10日、クリントン候補は記者会見を開き、便利さを優先した結果だったと釈明する一方、文書管理などに関するルールには違反していないと強調した。そして、「個人のメールアカウントを使うことは国務省も承知していた。仕事用と私用に端末を使い分けるよりもひとつにまとめる方が簡単だと考えた」と述べた。

 電子メール問題が徐々に大きくなる中、2015年4月12日、クリントンは2016年の大統領選挙出馬を正式に表明した。

 5月、国務省はクリントンの国務長官在任時の電子メール約300通を公開した。その後も順次公開していくとした。また、クリントンは国務省の求めに応じて、8月、在任中に自宅にあった個人サーバーで送受信した約6万件のメールのうち、少しでも公務にかかわりがあるとみられた約3万件、約5万5000ページ分を提出した。しかし、私用メールだった残り3万件は削除したと述べた。また、このサーバーを使って機密情報を送ったことはないと述べ、サーバーはシークレット・サービスによって守られていたとも強調した。

 国務省の報道官は、クリントンが提出したメールを数カ月かけて検証した後、誰でも閲覧できるウェブサイトに掲載すると発表した。

 2015年9月8日にテレビ出演したクリントンは、初めてこの問題で謝罪した。問題が長引き、大統領候補としてのクリントンを信用できないとする世論が強まってきたことが背景にあった。

 大統領選挙も中盤になった2016年7月2日、FBIは電子メール問題でクリントンから事情聴取を行った。それを受けて7月5日、FBIのジェームズ・コーミー長官は、クリントンの個人サーバーを調べた結果、110通以上のメールが機密情報を含んでおり、そのうち7通はトップシークレットに当たるものだったと発表した。また、サイバー攻撃によってメールが流出した痕跡はないが、その危険性は高かったとも述べた。

 そして、「クリントン氏とその同僚が機密情報の扱いに関して意図的に違法行為をしようとした明確な証拠は見つからなかったが、彼らが非常に重要な機密情報を極めて不注意に扱った証拠はあった」と批判しながらも、これまでこうした件が訴追されたのは意図的な違法行為に限られてきたことなどを踏まえ、訴追は求めないという結論に達したと語った(ITmediaニュース、2016年7月6日)。

 何とか電子メール問題を逃げ切ったクリントンは、7月26日、民主党の党大会で女性初の大統領候補として指名を受けた。

プロフィール

土屋大洋

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授。国際大学グローバル・コミュニティセンター主任研究員などを経て2011年より現職。主な著書に『サイバーテロ 日米vs.中国』(文春新書、2012年)、『サイバーセキュリティと国際政治』(千倉書房、2015年)、『暴露の世紀 国家を揺るがすサイバーテロリズム』(角川新書、2016年)などがある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

スイス銀行資本規制、国内銀に不利とは言えずとバーゼ

ワールド

トランプ氏、公共放送・ラジオ資金削減へ大統領令 偏

ワールド

インド製造業PMI、4月改定値は10カ月ぶり高水準

ビジネス

三菱商事、今期26%減益見込む LNGの価格下落な
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    日々、「幸せを実感する」生活は、実はこんなに簡単…
  • 5
    ウクライナ戦争は終わらない──ロシアを動かす「100年…
  • 6
    インドとパキスタンの戦力比と核使用の危険度
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    目を「飛ばす特技」でギネス世界記録に...ウルグアイ…
  • 9
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 10
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 9
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 10
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story