自民党を去りドン底も経験...参政党の神谷が今、政治を動かす「巨人」にまで成り上がった変貌劇
THE SANSEITO SURGE
参院選の翌日、都内の街頭演説に詰めかけた参政党支持者たち KIM KYUNG-HOONーREUTERS
<参政党の神谷代表は、今や日本政治にとって無視できない存在となったが、その道のりは順風満帆ではなかった。彼が味わった地獄と、再起の裏側とは>
※本記事は4本構成の第3弾です。第1弾および第2弾は以下よりご覧ください。
第1弾:「嘘つき」「極右」 嫌われる参政党が、それでも熱狂を生む理由...神谷代表が語った「分断」とは?
第2弾:「日本人ファースト」「オーガニック右翼」というイメージは誤解? 参政党を支える「意外な支持層」とは
第3章 「巨人」になる軌跡
「私は自民党で嫌な思いをしたので、それと同じような思いを参政党の人にはさせたくない」
実は神谷は2度、落選を経験している。その際の苦い思い出が、看護師や清掃員や主婦が政治に参加する党の在り方につながったとインタビューで語った。
そうしてつくり上げた政党が今、自民党の政策への影響力がささやかれるほど国会で存在感を持つようになったのだから、その原点にさかのぼりたい。
1977年、福井県でスーパーを営む両親の下に生まれた神谷は、大人の言うことを聞かない子だったという。関西大学在学中の海外放浪旅の経験を経て、政治の道を志した。29歳の07年に大阪府吹田市議選で初当選したが、見逃せないのは同じ時期の大阪政界に橋下徹というスターが誕生したことだ。
神谷は府下の超党派市議らを集めて有志のグループ「大阪教育維新を市町村からはじめる会」を結成。知事の橋下を代表に口説き落とした。が、いきなりぶつかった壁は、10年に松井一郎ら自民党を飛び出した大阪府議らが結成した地域政党「大阪維新の会」だった。
橋下をトップに据える2つの政治グループが大阪にあるのはおかしいと松井から電話がかかってきた際、神谷は大阪維新入りを断っている。また、これと前後して、神谷は橋下に、自民党でも民主党でもない国政政党のプランを提示している。政党設立への野心はこの時からだ。
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