最新記事

ノーベル文学賞

カズオ・イシグロをさがして

2017年10月14日(土)13時15分
コリン・ジョイス(ジャーナリスト)

もっとも、イギリス人の描き方があまりに完璧だから、かえってよそ者が「研究」を重ねてイギリスを描いたんじゃないかとも感じさせられる。執事のスティーブンスによるイングランドの田園地帯の描写は、イギリス人の私が感じてはいても決して表現できなかったものだ。グランドキャニオンも富士山もないイングランドの風景は「ドラマ」に欠けるが、抑制的で静かな美しさがある。

こうした描写は、イングランドの風景を描くと同時に、イギリス人男性の理想像を描いていると分析する人もいる。イシグロは多くを語らず、しかし多くのことを表現する。イシグロの小説を読んでいると、想像力を働かせ、目の前のページに記された文字以上のものを読み取ろうとしたくなる。

見落としがちな事実だが(少なくとも私は見落とした)、小野もスティーブンスも通常の意味での好人物ではない。小野は芸術を通じて軍国主義を賛美し、富と名声を得た人物だ。軍国主義がもたらした災禍に直面しても、なかなか自らの責任を認めようとしない。小野が「告白」したのは、娘の結婚話が危うくなってから――つまり戦術的なものだったのかもしれない。

スティーブンスは壊れた妄想を心に抱えた狭量な紳士気取りで、仕事上の義務感を言い訳にして大切な女性や瀕死の父親との関係から距離を置いている。だが作品を読むと、老いと後悔、孤独と向き合う主人公に感情移入せずにはいられない。

作品中、イングランドのあちこちを移動するスティーブンスの旅は、実は自分自身への旅だ。それを通じて、彼は人生を無駄に過ごしたこと、幸福をつかむ最高のチャンスを逃したことに気付く。物語の大詰めで現実を受け入れ、残り少ない時間を精いっぱい生きようと決意するシーンは、とてつもないパワーで読者の感情を揺さぶる。

ジャンルの壁を越えて

『わたしを離さないで』のキャシー・Hは、どこにでもいる普通の若い女性だ。彼女を待ち受ける運命は不当としか言いようがない。キャシーたち「提供者」は臓器を提供するためだけにこの世に生を受けた。なぜ反乱を起こさないのか――多くの読者は疑問に思う。

イシグロは、全ての人間は死ぬ運命にあるが、死は決して公平に訪れないと指摘する。そして人間には自らの運命を受け入れる強い傾向があるとも。その意味で、この作品は単なるディストピア小説ではない。人間が置かれた状況についてのある種の寓話だ。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米ウクライナ首脳、日本時間29日未明に会談 和平巡

ワールド

訂正-カナダ首相、対ウクライナ25億加ドル追加支援

ワールド

ナイジェリア空爆、クリスマスの実行指示とトランプ氏

ビジネス

中国工業部門利益、1年ぶり大幅減 11月13.1%
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指すのは、真田広之とは「別の道」【独占インタビュー】
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    【世界を変える「透視」技術】数学の天才が開発...癌…
  • 5
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 6
    【銘柄】子会社が起訴された東京エレクトロン...それ…
  • 7
    中国、米艦攻撃ミサイル能力を強化 米本土と日本が…
  • 8
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 9
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 10
    なぜ筋肉を鍛えても速くならないのか?...スピードの…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 6
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 7
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 6
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 10
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中