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災害報道

そのとき、記者は......逃げた

The Media Fallout

冷静さを失い、事態を必要以上にあおった外国メディアの大罪

2011年04月05日(火)13時40分
横田 孝(本誌編集長/国際版東京特派員)、山田敏弘(本誌記者)

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 大災害は人間の本性をあらわにし、その強さを試す。一瞬にして日常が非日常に取って代わられたとき、人はどう振る舞うか。泰然と構えて冷静さを保ち、周囲に気配りを見せられるか──それとも、パニックに陥って取り乱し、自分のことだけを考えるのか。

 メディアも同じだ。戦争や災害で、報道機関としての度量が試される。戦場や被災地といった危険が伴う場所で、いかに冷静に行動し、事態をあおらずに現場の生々しい情報を伝え、正確かつ思慮ある報道ができるかが問われる。

 これまで、日本には外国メディアに対するある種の尊敬の念があった。ジャーナリズムの理想とあがめ、その権威に頼ることさえあった。新聞などが日本に関する論評を求める際、今でも頻繁に「米紙ワシントン・ポストによると......」といったくだりが登場する。

 東日本大震災で、その神話は崩れ去った。この未曾有の大災害において、残念ながら多くの欧米メディアは本来果たすべき使命を全うできなかった。ニュースを報道する側がニュースにのみ込まれてしまい、冷静さを失ってしまったのだ。

 当初は地震と大津波による甚大な被害を報じていたが、福島第一原発事故が発生すると、外国メディアはこの事故を「チェルノブイリ級」と決めてかかった。放射能が見えない恐怖であることに違いはない。だが、今回は平静さをなくしたケースが後を絶たなかった。

われを失ったスター記者

 今回特徴的なのは「敵前逃亡」した記者の多さだ。在京特派員を含め、多くの記者が福島第一原発の事故による放射能漏れに恐れをなし、現場だけでなく、東京からも逃げ出した。例えば、本誌記者と共に米軍に同行して支援の様子を取材していた世界で最も名を知られた大手経済紙の記者の場合。一行が仙台に到着した翌日、宿泊場所の駐屯地から彼が姿を消すという出来事があった。

 在京特派員であるこの記者は平時、クールに振る舞う人物だった。米軍取材の初日、この記者はひたすらスマートフォンに向かって原稿を書き続けていた。

 翌日、日が暮れた頃から彼の様子がおかしくなった。福島第一原発の状況が悪化の一途をたどっていた頃だ。突然、荷物をまとめ始め、慌てた様子で駐屯地を離れようとした。動転した様子で「一刻も早くここを去りたい、それだけだ!」と声を荒らげた彼は、落ち着くよう説得を試みていた米軍の広報官を振り切り、足早に仙台の街へと消えていった。

 駐屯地でも兵士が測定器で放射線量を頻繁に測定していたが、問題となるような数値は報告されていなかった。

 好意的に捉えれば、彼は同行取材でそれ以上得るものがないと判断したのかもしれない。あるいはほかの記事を書くために、早く次の現場に向かいたかっただけかもしれない。ただ明らかなのは、彼が異常なまでに取り乱していたことと、一刻も早く東日本から離れたがっていたことだ(ただ、支局の一部が移された大阪に向かう航空機内で、現場と同等かそれ以上の放射能を浴びたはずなのだが)。

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