コラム

カトリック教会をよみがえらせた法王フランシスコの慈悲

2016年04月04日(月)16時30分

リベラルな法王フランシスコの誕生をカトリック教徒は大歓迎した neneos-iStock.

 アイルランド系の労働者階級が住むボストン南部(通称サウジー)は、日本でも、クリント・イーストウッド監督の『ミスティック・リバー』、ジョ ニー・デップ主演の『ブラック・スキャンダル』などで知られているように、貧しい住民が多い犯罪の巣窟だった。だが、アイルランド系のギャングたちも敬虔なカトリッ ク教徒であり、その矛盾もまたボストンの文化の一つだ。

 そのサウジーで育った私の女友達には、7人の兄弟姉妹がいた。姉の1人は高校時代にギャングレイプにあい、もう1人の姉はレズビアンであることを家族に明かした。だが教会も家族も、レイプにあった少女とレズビアンを告白した少女を 「sinner(罪をおかした女、姦淫をおかした女)」として責め、切り捨てたという。その後もずっと自殺願望を捨てられずにいる姉たちを見てきた彼女は、カトリック教会を離れただけでなく、嫌悪している。

 映画『ミスティック・リバー』でも少年への性的虐待がテーマになっていたが、カトリック聖教者による少年の性的虐待も「公然の秘密」だった。ボストン・グローブ紙は、その事実を組織的に隠蔽してきた教会の内情を暴露する大がかりなリポートを2002年に連続して掲載し、2003年にピューリッツァー賞を受賞した。聖教者による児童の性的虐待スキャンダルは、それまでにも世界各地で起きていたのだが、この報道に励まされた被害者が次々と名乗りをあげ、一気に注目を集めることになった。

 このスキャンダルは全世界に広まり、2005年に就任したローマ法王ベネディクト16世への批判が高まって、辞任を求めるデモまで発生した。マネーロンダリングのスキャンダルも重なり、教会は信者をどんどん失い、ベネディクト16世は非常に珍しい「生前退位」を決意した。

 その後を引き継いだのが法王フランシスコだ。就任後、マネーロンダリングなどの金融犯罪と戦う命令を出し、聖職者による性的虐待についても「カトリック教会は被害者の保護より教会の名誉と加害者の保護を優先している」と教会を非難して、違反した聖教者への厳しい対応を勧告した。

 その一方で、世界のリーダーに地球温暖化防止を呼びかけ、アメリカとキューバの国交回復の仲介役になり、同性愛についても「もし同性愛の人が善良であり、主を求めているのであれば、私にその者を裁く資格などあるだろうか?[If someone is gay and he searches for the Lord and has good will, who am I to judge?]」とも発言している。

【参考記事】あの習近平もかすんだローマ法王訪米の政治力

 これまでよりも、ずっとリベラルな法王を、私の周囲にいるリベラルなカトリック教徒は大歓迎した。「ようやくカトリック教会はよみがえることができる!」と。

 世界から注目を集めているこの新しい法王から、バチカン専門のベテランジャーナリストがじっくり話をきいた記録が『The Name of God Is Mercy[神の名は慈悲]』という本で、アメリカでいま静かなベストセラーになっている。私はキリスト教徒ではないが、フランシスコへの好奇心から手に取ってみた。

 私はふだんキリスト教原理主義には反感を抱いている。それは、彼らが同性婚、中絶、(婚前交渉を前提とするためか)性教育、避妊に強く反対し、そのくせ未婚の母を差別し、救済にも反対するからだ。彼らの語るVengeful[復讐心が強い]な神には近づきたくもない。だが、フランシスコの語る神は、徹底的にMerciful[慈悲深い]なのだ。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米上院議員、国防総省の幹部人事拒否する方針を一部撤

ワールド

「世界の酒税は低すぎ」、WHOが増税と全酒類への課

ワールド

インドネシア火山噴火、死者22人に増加 1人なお行

ワールド

インド南部にサイクロン上陸、接近時の豪雨・洪水で1
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:イスラエルの過信
特集:イスラエルの過信
2023年12月12日号(12/ 5発売)

ハイテク兵器が「ローテク」ハマスには無力だった ── その事実がアメリカと西側に突き付ける教訓

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    下半身ほとんど「丸出し」でダンス...米歌手の「不謹慎すぎる」ビデオ撮影に教会を提供した司祭がクビに

  • 2

    周庭(アグネス・チョウ)の無事を喜ぶ資格など私たちにあるのだろうか?

  • 3

    「支援疲れ」が広がるなかで「プーチンの考え」を完全に読み違える西側諸国

  • 4

    下半身が「丸見え」...これで合ってるの? セレブ花…

  • 5

    「相手の思いに寄り添う」という創業者の思いへの原…

  • 6

    「歩く肺炎」の恐怖、耐性菌大国に忍び寄る子供たち…

  • 7

    男たちが立ち上がる『ゴジラ-1.0』のご都合主義

  • 8

    上半身はスリムな体型を強調し、下半身はぶかぶかジ…

  • 9

    紅海で艦船攻撃、米軍をも脅かすイエメン・フーシ派…

  • 10

    米空軍の最新鋭ステルス爆撃機「B-21レイダー」は中…

  • 1

    最新の「四角い潜水艦」で中国がインド太平洋の覇者になる?

  • 2

    完全コピーされた、キャサリン妃の「かなり挑発的なドレス」への賛否

  • 3

    「大谷翔平の犬」コーイケルホンディエに隠された深い意味

  • 4

    ロシアはウクライナ侵攻で旅客機76機を失った──「不…

  • 5

    米空軍の最新鋭ステルス爆撃機「B-21レイダー」は中…

  • 6

    ミャンマー分裂?内戦拡大で中国が軍事介入の構え

  • 7

    男たちが立ち上がる『ゴジラ-1.0』のご都合主義

  • 8

    下半身ほとんど「丸出し」でダンス...米歌手の「不謹…

  • 9

    <動画>ロシア攻撃ヘリKa-52が自軍装甲車MT-LBを破…

  • 10

    下半身が「丸見え」...これで合ってるの? セレブ花…

  • 1

    <動画>裸の男が何人も...戦闘拒否して脱がされ、「穴」に放り込まれたロシア兵たち

  • 2

    <動画>ウクライナ軍がHIMARSでロシアの多連装ロケットシステムを爆砕する瞬間

  • 3

    「アルツハイマー型認知症は腸内細菌を通じて伝染する」とラット実験で実証される

  • 4

    戦闘動画がハリウッドを超えた?早朝のアウディーイ…

  • 5

    リフォーム中のTikToker、壁紙を剥がしたら「隠し扉…

  • 6

    <動画>ロシア攻撃ヘリKa-52が自軍装甲車MT-LBを破…

  • 7

    ロシアはウクライナ侵攻で旅客機76機を失った──「不…

  • 8

    ここまで効果的...ロシアが誇る黒海艦隊の揚陸艦を撃…

  • 9

    また撃破!ウクライナにとってロシア黒海艦隊が最重…

  • 10

    またやられてる!ロシアの見かけ倒し主力戦車T-90Mの…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story