「達成の快楽は20世紀的」 佐々木俊尚に聞いた、山頂を目指さない「フラット登山」の魅力

佐々木 俊尚(ささき・としなお)
作家・ジャーナリスト。1961年兵庫県生まれ、毎日新聞社で事件記者を務めた後、月刊アスキー編集部を経てフリーに。テクノロジーから政治、経済、社会、ライフスタイルにいたるまで縦横無尽に発信する。早稲田大学入学と同時に、登山サークルへ入り、社会人山岳会にも加入してバリエーションも含めた本格登山に目覚める。社会人になり、登山から遠ざかっていたが、仲間に誘われて再開。登山初心者を交えての山行を重ねるうち、「山頂に行かなくても楽しい。気持ち良く歩くことができればそれで十分なのでは?」とひらめき、「フラット登山」を考案。現在も月に1回程度、仲間とともにフラット登山を楽しんでいる。
──佐々木さんは、学生時代には年間100日も山にいるほど登山に夢中になっていたそうですね。それからどのように「フラット登山」にたどり着いたのでしょうか?
大学生のときはバリエーション登山やクライミングもやっていましたが、いま振り返ってみると、自然林が続く深い森だったり、なだらかな丘陵をひたすら歩くような山歩きが好きだなと感じていました。高いところを目指すだけじゃなくて、気持ちいい森の中にずっといたいなというような気持ちですね。
卒業後に20年ほどのブランクを挟んでまた登山をするようになった頃には、ハードな山を登る気にはならなかったですし、SNSで組織したゆるい山の会の仲間には、初心者や子供連れもいたので、自然な流れで急登や危険箇所が少ないコースを選ぶようになりました。そうしているうちに、「別に山頂に行かなくても気持ちよく歩けたらそれで十分じゃない?」と思ったんです。
──著書では、山頂や目的地にこだわる登山に「達成快感」があるのに対して、フラット登山では「過程快感」が味わえると説明しています。
フラット登山では、過程を楽しむところに最も重点を置いています。景色だけじゃなく、たとえば草いきれのにおいや落ち葉を踏む感触、また天気が悪い日だって、霧雨の森を歩けば周囲がぼやけていて木々から糸のように水が落ちてきて......というように、山の中には五感を刺激するさまざまな「官能的」といえる気持ちよさがあります。
一方で、「ヒイヒイゼエゼエ言いながら山頂を目指す、それこそが登山である」という旧来のイメージはいまだに強くて、それゆえに登山はただつらいだけのものだと思われてしまいがちです。それに、そうした達成の快楽は、20世紀的であって21世紀的な快楽ではないんじゃないかと考えています。