最新記事

音楽社会史

映画《東京オリンピック》は何を「記録」したか

2015年12月25日(金)15時22分
渡辺 裕(東京大学大学院人文社会系研究科教授) ※アステイオン83より転載

「記録」の考え方も違った 1964年と2020年の二つの東京オリンピックの間に横たわっているのは、メディアの進展とともに変わった人々の感性かもしれない(2013年に東京・丸の内で開かれたオリンピックがテーマの報道写真展の展示) Yuya Shino-REUTERS

 二〇二〇年の東京オリンピックの開催が、国立競技場やエンブレムの問題などで最初からつまずいている。そんな折、一九六四年の東京オリンピックの記録映画《東京オリンピック》をじっくり見る機会があった。オリンピック映画史上最高とも評される市川崑監督の作品である。見直してみると、この五〇年余の間の世の中の変化の大きさをあらためて感じる。

 莫大な資金を投入し、あらん限りの趣向を凝らした最近のオリンピックを見慣れた目には、久しぶりに見るこの六四年の東京オリンピックの開会式は、ほとんど小中学校の運動会の延長線上にあるくらいに質実剛健で簡素なものだ。「ミスター・アマチュア」と呼ばれたブランデージ会長のもと、テレビの放映権料の世界などともほとんど無縁であった、そんな時代の空気をこの映画は見事に映し出している。

 しかし変わったのは、この映画に「記録」されているオリンピックの中身だけではない。「記録」している当の映画の側のあり方にも、実はいろいろ不可解なことがあるのだ。

 そのことを認識したきっかけは、開会式の入場行進シーンだった。入場行進の伴奏は、古関裕而の《オリンピック・マーチ》を軸に、タイケの《旧友》、スーザの《海を越える握手》などの有名曲がところどころに挟まれる構成になっていたのだが、映画に出てくるドイツの入場シーンで背後に鳴り響いていたのは、《オリンピック・マーチ》の中間部だった。ところが、NHKの当日の中継映像を見て驚いた。同じドイツの行進シーンで流れているのは《海を越える握手》であり、しかもテレビの実況担当の北出清五郎アナウンサーがご丁寧にも「曲は《海を越える握手》に変わりました」というナレーションまで入れている。そのつもりで見比べると、アメリカの行進シーンも映画では《旧友》なのに、中継映像では《オリンピック・マーチ》で全く合っていないし、あとは推して知るべしである。要するに、映像と一緒にとられた音とは全く違う音が流れているのだ。

 もちろん、実況映像ではなく、音楽をバックグラウンドに流し、その上に映像を配置したものだと考えれば別に目くじらをたてるほどのことでもない、と考える向きもあるかもしれない。だが、そうはいかない。どうみてもあれは「実況映像」のつくりである。NHKのアナウンサーによる実況中継音声が重ねられており、誰だって「生」の音声だと思うだろう。

 そこで今度は実況中継音声の方をみてみた。鈴木文弥アナウンサーのあの名調子である。開会式では鈴木アナはラジオの中継を担当していたので、当時つくられた東京オリンピック記録レコードにおさめられたラジオ中継の録音をきいてみると、驚いたことにこれまた違うのである。たしかに同じ鈴木アナの声には違いなく、同じフレーズも随所に出てくるのだが、微妙に言い回しが変わっていたり、出てくる箇所が違っていたりする。映画のために新たに録音しているのだ。全体に台詞は切り詰められ、凝縮されており、いわば効果音的に挿入することで、それを核に全体をひとつにまとめ上げるような使い方をしているのである。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

USMCA見直し、前倒しなら貿易政策クリアに=メキ

ワールド

中国主催のイベントに台湾と外交関係持つ2カ国が参加

ビジネス

SUBARU、今期の業績予想未定 関税などで「合理

ワールド

イスラエルの新たなガザ人道支援案、国連が非難 民間
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:2029年 火星の旅
特集:2029年 火星の旅
2025年5月20日号(5/13発売)

トランプが「2029年の火星に到着」を宣言。アメリカが「赤い惑星」に自給自足型の都市を築く日

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    心臓専門医が「絶対に食べない」と断言する「10の食品」とは?...理想は「1825年の食事」
  • 2
    ゴルフ場の近隣住民に「パーキンソン病」多発...原因は農薬と地下水か?【最新研究】
  • 3
    母「iPhone買ったの!」→娘が見た「違和感の正体」にネット騒然
  • 4
    カヤック中の女性がワニに襲われ死亡...現場動画に映…
  • 5
    あなたの下駄箱にも? 「高額転売」されている「一見…
  • 6
    トランプ「薬価引き下げ」大統領令でも、なぜか製薬…
  • 7
    「がっかり」「私なら別れる」...マラソン大会で恋人…
  • 8
    「奇妙すぎる」「何のため?」ミステリーサークルに…
  • 9
    トランプは勝ったつもりでいるが...米ウ鉱物資源協定…
  • 10
    「出直し」韓国大統領選で、与党の候補者選びが大分…
  • 1
    心臓専門医が「絶対に食べない」と断言する「10の食品」とは?...理想は「1825年の食事」
  • 2
    健康は「何を食べないか」次第...寿命を延ばす「5つの指針」とは?
  • 3
    5月の満月が「フラワームーン」と呼ばれる理由とは?
  • 4
    ゴルフ場の近隣住民に「パーキンソン病」多発...原因…
  • 5
    脂肪は自宅で燃やせる...理学療法士が勧める「3つの…
  • 6
    カヤック中の女性がワニに襲われ死亡...現場動画に映…
  • 7
    母「iPhone買ったの!」→娘が見た「違和感の正体」に…
  • 8
    シャーロット王女の「親指グッ」が話題に...弟ルイ王…
  • 9
    ロシア機「Su-30」が一瞬で塵に...海上ドローンで戦…
  • 10
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 1
    心臓専門医が「絶対に食べない」と断言する「10の食品」とは?...理想は「1825年の食事」
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    脂肪は自宅で燃やせる...理学療法士が勧める「3つの…
  • 5
    健康は「何を食べないか」次第...寿命を延ばす「5つ…
  • 6
    「2025年7月5日に隕石落下で大災害」は本当にあり得…
  • 7
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 8
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 9
    【クイズ】世界で2番目に「軍事費」が高い国は?...1…
  • 10
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中