コラム

UAE・イスラエル和平合意は中東に何をもたらすのか?

2020年08月25日(火)17時30分

UAEとの和平合意について発表するイスラエルのネタニヤフ首相 Abir Sultan-REUTERS

<テロや暴動よりももっと深刻な問題を、イスラエルは抱え込むことになる>

8月13日、UAEがイスラエルと和平合意の締結を発表した。イスラエルと結んだ和平としては、1979年のエジプト、1994年のヨルダンに続き3番目で、湾岸諸国では初めてである。

国際社会はおおむね好意的な反応、というのが、日本のメディア報道の大半の論調だ。だが実際は、好意的な評価は推進役のアメリカはもちろん、ヨーロッパ、国際機関からのものばかりで、オスロ合意の時のように「すわ、ノーベル平和賞?」というほど、全世界が絶賛、というのには程遠い。

中東諸国のなかでも、UAEに先がけてイスラエルとの交渉を積極的に行ってきたオマーンなどの湾岸諸国や、対イスラエル和平の先達であるエジプトが賛同したものの、2番目の和平相手国であるヨルダンは態度を曖昧にしているし、オスロ合意以降比較的対イスラエル関係改善の方向にあったモロッコは、むしろ反対の立場を表明している。反イスラエルで徹底しているイランが猛反対なのは自明のこととして、イスラエルと軍事同盟を持つトルコがこれを非難しているのは、周辺から「自国のことを棚に上げて」と揶揄されるほどだ。

そもそも、今回のUAE・イスラエル和平と、これまでのエジプト、ヨルダンの和平合意とは、全く質が異なる。1979年にエジプトが、当時のカーター米大統領の仲介でイスラエルとキャンプ・デービッド合意を結んだ際のエジプト側の動機は、第3次中東戦争でイスラエルに占領された自国領土のシナイ半島を取り戻したかったの一念に尽きる。イスラエル側も、「エジプト抜きで戦争は起きない、シリア抜きで平和は成就しない」(ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官)と言われるほどの軍事大国(だった)エジプトに、イスラエルを攻撃させないことが喫緊の課題だった。

過去の和平合意との違い

1994年のヨルダン・イスラエル間和平は、前年のオスロ合意でパレスチナとイスラエルの間に和平交渉が成立したことを受けてのものである。キャンプ・デービッド合意でエジプトがパレスチナ抜きでイスラエルと単独和平に至ったことは、自国の領土回復のためにパレスチナを売ったと、当時のアラブ連盟から総スカンを喰った。そのことを踏まえて、ヨルダンは、まず当事者たるパレスチナとイスラエルの間での交渉があってからの、最も当事者に近い隣国としての和平を決断したのである。

要するに、これまでの対イスラエル和平は、パレスチナ問題の準当事者であり、イスラエルと国境を接する前線国との間で結ばれてきた。イスラエルにせよ、エジプト、ヨルダンにせよ、パレスチナ問題をめぐって相互に直接被害を受ける可能性が最も高く、パレスチナ問題の動向によって自国の安全保障が最も影響を受けてきた国が、自国の安全を確保するための究極の選択として決断したのが、「二国間和平」だったのだ。そしてイスラエルにとっては、それまで切っても切れなかったパレスチナ問題と前線国の対イスラエル姿勢を、切り離すことが最大の目的だった。

<参考記事:撃墜されたウクライナ機、被弾後も操縦士は「19秒間」生きていた
<参考記事:「歴史的」国交正常化の波に乗れないサウジの事情

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国軍、台湾包囲の大規模演習 実弾射撃や港湾封鎖訓

ワールド

和平枠組みで15年間の米安全保障を想定、ゼレンスキ

ワールド

トルコでIS戦闘員と銃撃戦、警察官3人死亡 攻撃警

ビジネス

独経済団体、半数が26年の人員削減を予想 経済危機
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と考える人が知らない事実
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    【銘柄】子会社が起訴された東京エレクトロン...それ…
  • 5
    なぜ筋肉を鍛えても速くならないのか?...スピードの…
  • 6
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 7
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    アメリカで肥満は減ったのに、なぜ糖尿病は増えてい…
  • 10
    「すでに気に入っている」...ジョージアの大臣が来日…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 6
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 7
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 8
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 9
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 10
    素粒子では「宇宙の根源」に迫れない...理論物理学者…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 10
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story