コラム

拉致監禁被害者の実名報道はどうして可能なのか?

2013年05月14日(火)10時32分

 先週の月曜日、5月6日に発生したオハイオ州クリーブランドでの「拉致監禁被害者の救出劇」は、1週間にわたってアメリカのニュースメディアのヘッドラインを独占しました。被害者は3名の女性で、それぞれ2002年、03年、04年に拉致されて後、この5月6日に至るまで、ずっと加害者男性の家に監禁されていたのです。

 男性は3人の女性に性的なものを含む暴力を加え続け、1人の女性は10年間に5回も妊娠させられ、その度に腹部を殴られたり、食事を与えられないなどの暴行により流産をさせられているようです。また1人の女性は女の子を出産し、その子は監禁されたまま成長して現在は6歳になっていますが、その女の子も無事に保護されています。

 その後の報道では、DNA鑑定により、この6歳の女の子の父親は加害者男性であると特定されています。また、加害者男性に対して、起訴の是非を決定する大陪審へ向けての準備に入っていますが、オハイオ州法によれば強姦罪には死刑は適用できない一方で、母親の同意のない強制的な妊娠中絶は胎児への殺人だという規定を適用して、死刑の求刑も視野に入れていると発表されています。

 この事件ですが、3人の女性はいずれも実名で報道がされています。保護直後に病院で手当を受けている被害女性の写真も公開されていますし、一部の家族は会見に応じています。また「無事生還」を祝う花や風船で飾られた女性たちの家の映像もニュースでは流れています。

 このような実名報道はどうして可能なのでしょうか?

 それは、アメリカの社会が個人情報などの人権を軽視しているからではありません。また、興味本位のメディアが商業主義的に事件を扱う中で、カネの力でプライバシーが売られているからでもありません。

 理由としては3つ指摘できると思います。

 まず、1点目としては、被害者の完全な社会復帰のためには、被害者とその周辺だけでなく、社会全体がこうした事件と向き合って、その上で事件を乗り越えるというアプローチが有効であるという社会的な合意があるということがあると思います。

 例えば、今回の事件の報道でも、過去の「監禁と性暴力被害者」が実際にTV局に声明を寄せたり、実際にニュース番組に出演して「クリーブランドの3人の被害者」に激励のメッセージを述べたりしています。

 一例を挙げますと、2002年に14歳の時に西部の「一夫多妻制信者」である夫婦に拉致されて、9カ月にわたって監禁と性的な暴力を受けて生還したエリザベス・スマートさんという女性は、CNNでウルフ・ブリッツアーのインタビューに応じていました。その中でスマートさんは「こうした事件の被害を受けても、自分が本来持っていた人生の夢は100%実現できるし、その夢を100%実現することで事件を乗り越えることができる」と力強く語っていました。

 こうしたメッセージがTVを通じて流れるということは、単にアメリカが「ポジティブ・シンキング社会」だというような漠然とした文化の問題ではないと思います。メディアが意識して「事件を直視して、それを乗り越える」ためのメッセージを出し続けることが被害者救済に効果がある、そのことに社会的合意があるということ、その結果として実名報道が可能になっていると思われます。

 2点目は、こうしたアプローチが可能になった背景として、性暴力被害に対する社会的な意識の確立ということがあります。アメリカでも、80年代までは性暴力に対する偏見、例えば被害者にスキがあったのが悪いとか、被害者に対して社会が好奇の視線を浴びせるというような文化が、あるレベルを越えて残っていました。

 これに対して、80年代から90年代にかけて様々な動きがありました。例えば、ジョディ・フォスター主演の映画『告発の行方』(1988年)など、従来の性暴力に対するカルチャーそのものへの告発の動きがあったり、著名人の女性が性暴力被害を「カミングアウト」する動きなどが、性暴力に対する厳罰化と並行して進みました。

 この被害事実のカミングアウトを社会が受け入れるということと、犯罪への厳罰化が進む中で、性暴力の凶悪性への認識と被害者の「完全な社会復帰」をする権利が、社会的な合意として形成されていったということが指摘できると思います。

 勿論、アメリカの社会も大変に人間臭い社会ですから、こうした特殊な事件に対する社会の「関心」に応える形で報道がされているのは事実です。ですが、そうではあっても報道のトーンは、ある品位を踏み外すことはなく、報道の影響が回り回って被害者に対する「セカンド・レイプ」にはならないよう注意が払われていると言っていいでしょう。

 その結果として、事件に関する実名報道がされても、報道も、そして報道を通じた社会の関心も、被害者を応援するという立場からブレない範囲に収まることになるのです。また万が一、被害者への「セカンド・レイプ」になるような嫌がらせ行為があれば、刑事事件として厳しく立件が可能になっているという制度的な条件もあると思います。

 3点目は、こうした動きと並行して「フォレンジック・ナーシング(法医学的看護)」という概念が出来つつあるということです。「フォレンジック・メディスン(法医学)」というと、主として「犯罪被害者の遺体の検視」という概念だったのですが、これに加えて「暴力被害者の治療」という分野を「純粋な医療行為の一環」として確立しようというのです。

 この運動の結果として、暴力被害者の身体的な被害と心理的な被害、更には社会復帰へのノウハウを総合的にケアする「フォレンジック・ナース(法医学的看護師)」という専門職が生まれ、今回の事件でも被害者のケアに当たっているのです。そうした専門家の医療行為の一環として、「完全な社会復帰のプロセス」に問題がないことを確認した上で「実名報道」が可能になっているということも言えると思います。

 ちなみに、被害女性のうち病院での医療ケアが短期間で完了した2名は早期に「帰宅」していますが、残りの1名に関しては退院はしたものの、専門家と警察によるケアを今も受けているようです。そうした機関を越えた連携というのも、この「フォレンジック・ナーシング」という考え方を背景に行われているのです。

 一方で、こうした犯罪に対する体制上の問題点もないわけではありません。自宅からほんの数分の場所に10年も監禁されていた女性たちが発見できなかったこと、被害女性に関しては、捜索願が出されて全米の不明者データベースに掲載されたものの、何故か途中でデータベースから抹消された時期があり、警察の捜索活動が停止していたことなど、捜査体制の不備が事件を長期化したという点に関しては、厳しい批判が寄せられています。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

英ユダヤ教会堂襲撃で2人死亡、容疑者はシリア系英国

ビジネス

世界インフレ動向はまちまち、関税の影響にばらつき=

ビジネス

FRB、入手可能な情報に基づき政策を判断=シカゴ連

ビジネス

米国株式市場=主要3指数最高値、ハイテク株が高い 
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:2025年の大谷翔平 二刀流の奇跡
特集:2025年の大谷翔平 二刀流の奇跡
2025年10月 7日号(9/30発売)

投手復帰のシーズンもプレーオフに進出。二刀流の復活劇をアメリカはどう見たか

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ監督が明かすプレーオフ戦略、監督の意外な「日本的な一面」とは?
  • 2
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外な国だった!
  • 3
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最悪」の下落リスク
  • 4
    「人類の起源」の定説が覆る大発見...100万年前の頭…
  • 5
    イスラエルのおぞましい野望「ガザ再編」は「1本の論…
  • 6
    「元は恐竜だったのにね...」行動が「完全に人間化」…
  • 7
    1日1000人が「ミリオネア」に...でも豪邸もヨットも…
  • 8
    女性兵士、花魁、ふんどし男......中国映画「731」が…
  • 9
    AI就職氷河期が米Z世代を直撃している
  • 10
    【クイズ】1位はアメリカ...世界で2番目に「航空機・…
  • 1
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外な国だった!
  • 2
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ監督が明かすプレーオフ戦略、監督の意外な「日本的な一面」とは?
  • 3
    トイレの外に「覗き魔」がいる...娘の訴えに家を飛び出した父親が見つけた「犯人の正体」にSNS爆笑
  • 4
    ウクライナにドローンを送り込むのはロシアだけでは…
  • 5
    こんな場面は子連れ客に気をつかうべき! 母親が「怒…
  • 6
    iPhone 17は「すぐ傷つく」...世界中で相次ぐ苦情、A…
  • 7
    【クイズ】世界で1番「がん」になる人の割合が高い国…
  • 8
    高校アメフトの試合中に「あまりに悪質なプレー」...…
  • 9
    虫刺されに見える? 足首の「謎の灰色の傷」の中から…
  • 10
    琥珀に閉じ込められた「昆虫の化石」を大量発見...1…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 4
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 5
    カミラ王妃のキャサリン妃への「いら立ち」が話題に.…
  • 6
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 7
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 8
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 9
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 10
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story