コラム

「ハーグ条約批准」の「不平等条約状態」を放置するな

2013年02月20日(水)12時23分

 この欄で何度かお話している「ハーグ条約批准」とその関連法について、今週訪米する安倍首相は「オバマ大統領への手土産」として持って行く、そんなニュアンスの報道がされています。これを機会に、改めてこの問題に対して「今回の安易な解決法」が、どうして「不平等条約」なのかを議論したいと思います。

 改めて問題の構造を確認しておきましょう。この問題に関しては、アメリカだけでなく、カナダやフランスを相手国としたトラブルも多数報告されていますが、以降は便宜的に対象国をアメリカに絞って記述することをお許し下さい。

 例えば日本人の女性と米国人の男性が結婚してアメリカで生活し、子供をもうけていたとします。その後に、残念ながら夫婦関係が破綻した場合に、アメリカでは離婚裁判の結果として「共同親権」という制度があり、父母のどちらかが子供に危害を加える危険がない限り、そして双方が親権を望む限りは「共同親権」になる可能性が高いのです。つまり、子供は離婚した父母の間を行き来するのです。

 問題になるのは、まず「ケース1」として、きちんとアメリカで離婚裁判をやって「共同親権」になった場合に、多くの場合は「子供が18歳になるまで母子は日本への移住ができない」か、「一時的に日本に帰国する場合も、父親の方の承諾が必要」になるという問題です。どうしてお母さんが日本へ子供を連れて帰るのが難しいのかというと、日本人の母親は「日本へ子供を連れ去るとそのままアメリカには戻らない危険がある」ということが、アメリカの離婚弁護士並びに裁判官の間で「常識になっている」からです。

 ではそのような「悪しき常識」がどうしてできたのかというと、「ケース2」として「共同親権の判決が下りているにも関わらず、子供を日本へ連れ去ってアメリカに戻らない母親」のケースがあること、それ以前の段階として「ケース3」として、「アメリカでの離婚裁判を省略したまま日本に子供を連れ去ってアメリカに戻らない母親」のケースがあるからです。

 アメリカの国務省と連邦議会、並びにアメリカ人の父親たちは、この問題を執念深く追い続け、日本の外交当局に物凄い圧力を加え続けてきました。私は亡くなった西宮伸一前中国大使から、この問題で米議会に喚問された際の経験を直接伺っていますが、それは大変な圧力であったそうです。

 今回の「手土産」はそうした欧米サイドの圧力の結果と言えます。つまり、民法を改正して日本の離婚法制とハーグ条約の整合性を取ることを「しない」で、ハーグ条約だけ批准して加盟するというのです。具体的には「離婚に伴う子供の連れ去りに関してクレームが入った場合に、日本政府が日本国内にいる子供を探し出して、実情を検討した上で元の居住地、つまり外国に送る」という関連法の整備だけで済ますのです。

 何が問題なのでしょうか?

(1)日本の民法には「共同親権」という考え方がありません。ですから、アメリカに居住していた場合は勿論、日本で生活していた場合でもアメリカ人の男性(とその弁護士)が日本の国内法による離婚裁判に応じる可能性はほぼ100%ありません。従って、今後も夫婦が日本に居住していた場合であっても、離婚裁判はアメリカで行われ、アメリカの裁判所は「共同親権を認め」ると共に、「日本人の母と子には米国居住を事実上強制する」判決を下し続けると思われます。

(2)今回の「批准」は「過去に遡って適用はしない」ということです。ですが、現在上記の「ケース2」や「ケース3」の「日本に子供を連れ帰っている母親」にはアメリカの各州から誘拐罪や逃亡罪などの逮捕状が出ており、いまだに逮捕状は有効なままです。また、アメリカの父親に一般に見られる「子供への激しい愛情」は断ち切れるはずもないわけで、今回の措置によって過去の問題は「現状のまま不問に付す」という事にはならない危険があります。

(3)具体的な運用に関して「DV(家庭内暴力)」がある場合は、引渡しを拒否できると言われています。ですが、日本では「父親の母親への暴力は、子供への心的外傷ともなりうるので父親には親権を与えない」という理由になりますが、アメリカには「将来にわたって子供が暴力の対象にならないのであれば、DVは夫婦間の問題であってDVがあったから親権を自動的に剥奪されるわけではない」という考え方があります。この「価値観の相違」に関して、今後の運用で十分な調整が可能とは思えません。第一、米国で発生したDVの実態に関して、日本の裁判所などが正確に把握するような「捜査協力」がアメリカから得られるとも思えないのです。

(4)条約加盟により「100%日本人の親が親権を持っている」場合でも、外国人の親が「面会権の保障」を要求してきた場合には、日本政府は協力することになっています。ところが、日本の民法には「親権(監護権)のない親の面会権の強制力を伴う保障」という規定はないばかりか、「特に父親の方は再婚したら子供への面会権を事実上放棄させられる」という慣習も強く残っています。父親の観点からすれば「父親が外国人であれば」離婚後の子供への面会権を日本政府が保証するが、「日本人同士の離婚」であれば当事者間の問題として強制力は発動されないということになります。こうした運用になるのであれば、私は違憲性が強いと思います。

 この問題の解決策はただ1つ、民法の離婚法制を改正することです。そして日米間の離婚訴訟の場として日本の法廷が機能するようにし、また外国人の親と日本人の親に同様の権利を付加するのです。そのためには(ア)共同親権制度、(イ)親権のない側の面会権の保障、(ウ)慰謝料および養育費支払いの強制、を具体化することです。そうすれば、アメリカ側は日本で発生した国際間の離婚訴訟も「アメリカ国内でしか応じない」という強弁ができなくなりますし、その後の面会権の扱いなども含めて日米間の「不平等」はなくすことができます。

 アメリカに限りませんが、日本での結婚生活が破綻して外国人の親が子供を連れ去った場合にも、日本の離婚法制に関してこの(ア)から(ウ)の改正がされていれば、日本に引っ張ってきて日本で離婚裁判をすることが可能になります。そうでなければ、特に欧米系の父親は絶対に引渡しには応じないでしょう。とにかく「民法改正を伴わない条約批准」というのは、どうしても不平等性を残してしまうのです。

 この問題に関しては、日本の民主党の「バカ正直、外交下手」のために、ヒラリー・クリントン前国務長官などに、ここまで押し込まれてきたわけです。では、自民党政権になってストップがかかったのかというと、「夫婦別姓もダメ」という自民党の保守カルチャーでは「正々堂々と民法を改正して」の対応など発想すらなかったのでしょう。ほぼノーチェックで関連法を通すことになったようです。

 実態は「不平等条約」であるにも関わらず、この「小手先の措置」が安倍首相訪米の「手土産」であり、それによって「日米関係が改善されれば結構」というニュアンスの報道も多いようですが、それは違うのではないかと思うのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

中東情勢深く懸念、エスカレーションにつながる行動強

ワールド

ウクライナ中部にロシアミサイル攻撃、8人死亡 重要

ワールド

パキスタンで日本人乗った車に自爆攻撃、全員無事 警

ビジネス

英小売売上高、3月は前月比横ばい インフレ鈍化でも
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:老人極貧社会 韓国
特集:老人極貧社会 韓国
2024年4月23日号(4/16発売)

地下鉄宅配に古紙回収......繁栄から取り残され、韓国のシニア層は貧困にあえいでいる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    止まらぬ金価格の史上最高値の裏側に「中国のドル離れ」外貨準備のうち、金が約4%を占める

  • 3

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の衝撃...米女優の過激衣装に「冗談でもあり得ない」と怒りの声

  • 4

    中国のロシア専門家が「それでも最後はロシアが負け…

  • 5

    価値は疑わしくコストは膨大...偉大なるリニア計画っ…

  • 6

    中ロ「無限の協力関係」のウラで、中国の密かな侵略…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    休日に全く食事を取らない(取れない)人が過去25年…

  • 9

    「イスラエルに300発撃って戦果はほぼゼロ」をイラン…

  • 10

    日本の護衛艦「かが」空母化は「本来の役割を変える…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 3

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体は

  • 4

    犬に覚せい剤を打って捨てた飼い主に怒りが広がる...…

  • 5

    攻撃と迎撃の区別もつかない?──イランの数百の無人…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    アインシュタインはオッペンハイマーを「愚か者」と…

  • 8

    天才・大谷翔平の足を引っ張った、ダメダメ過ぎる「無…

  • 9

    帰宅した女性が目撃したのは、ヘビが「愛猫」の首を…

  • 10

    ハリー・ポッター原作者ローリング、「許すとは限ら…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

  • 10

    浴室で虫を発見、よく見てみると...男性が思わず悲鳴…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story