コラム

軍需産業に経済成長を期待するのは、そもそも可能か?

2010年10月15日(金)15時36分

 菅内閣は「武器輸出3原則」の緩和を検討しているようです。菅総理にしても北澤防衛相にしても真意が今ひとつ読めません。沖縄がスンナリ行かない分この辺でアメリカの要求を呑んでバランスを取ろうとしているのか、それとも中国への刺激はあまりしないで(「柳腰」ですか・・・? そもそもセクハラめいた差別語だと思うのですが)牽制しようというのか、成長戦略を出せという声に何か答えないといけないからのか、財界から陳情が来ているのか、まあ「何となく全部を混ぜた」というのが真相だと思うのですが、その中心にあるのは「不況だからタブーをゆるめて軍需産業を拡大すれば何かの足しになるだろう」という発想だと思うのです。ですが、本当にそうなのでしょうか?

 まずオバマ大統領、ゲイツ国防長官の体制のアメリカから見ていますと、2010年から11年にかけての現在、兵器や軍事技術が「大きな売上になる」というのは幻想だと思います。3原則の解除はアメリカが言ってきているのですが、そのアメリカは軍事費の猛烈な削減に突っ走っている最中ですし、最先端以外の技術はむしろアメリカが他の同盟国にジャンジャン売りたがっている、そんな時代です。ゲイツ長官の言うように「規制緩和」すれば、アメリカが色々買ってくれるだろうと考えるならば、それは甘いと言わねばなりません。

 それ以前の問題として、そもそも軍需産業に関しては経済合理性から見てデメリットが大きいのです。何と言っても、イノベーションが阻害されるという点があります。人類の技術の歴史は戦時に大きく進み、戦後の平和期にその恩恵が出るなどというストーリーは20世紀までの話であって、21世紀という時代にあっては、イノベーションというのは自由な競争と、開かれた研究体制によって進む方がスピードが出るのです。例えば、バイオ、ナノ、原子力などのテクノロジーは、軍事利用を厳しく規制し、民生用のニーズを前提に世界中の科学者が競っているのでこれだけの進歩があるわけですが、そこに軍事利用の領域が囲い込みを始めると大きく阻害されるのです。

 例えば、1987年に日米の間で大問題になった「東芝機械ココム違反問題」が良い例です。当時のソ連に対して、東芝機械という東芝の子会社が「プロペラ(羽根)」を高い精度で作ることのできる工作機械を販売したということが問題になりました。アメリカは「その工作機械があれば、ソ連の原子力潜水艦のスクリューを高精度で作ることができ、結果的にソナーでの探知が難しくなる」としてカンカンになったのです。事件には直接関係のない東芝本体の経営陣まで辞任するという大騒動になりました。

 しかしながら「音の出ないスクリュー」を作る技術というのは、そもそもは民生用のものです。例えば、自動車のエアコンがフルで回っている時に「ブーン」という騒音がしてイヤな思いをした方は多いと思いますし、高級車になると相当な高回転でエアコンを回してもノイズが少なく「さすが高級だ」と思うこともあるでしょう。パソコンの冷却ファンのノイズなどの問題も同じです。この問題こそ、スクリューの工作精度の問題なのです。スクリュー(あるいはプロペラ)というのは、流体力学上羽根から出る乱気流が少ない形状に正確に作ること、羽根の質量を均等に揃えること、軸を正確に中心に持ってゆくことなどの地味な努力の結果として低騒音にできるわけです。

 こうした正に民生ニーズのあるテーマ、そしてそうした改善改良を積み重ねてきた日本の技術が「軍事用だから」と墨塗りにされて機密というブラックボックスに入れられてしまうというのは、イノベーションの阻害に他なりません。ちなみに、この東芝機械事件に関しては、夏は蒸し暑いカスピ海沿岸地方に、冷戦の続く中でエアコンの現地生産工場を建てて、現地の人に喜ばれた東芝の行為に対してのアメリカの報復という可能性があるようです。この地域に長く暮らしておられた研究者である廣瀬陽子氏(慶應大学)の著書によれば、東芝製品はたいへんに好評だったようです。ブーンブーンと騒音ばかりのソ連製のエアコンではなく、恐らくは「強」にしても騒音の少ない点も歓迎されたに違いありません。その話が「原潜の脅威」になるという「論理の飛躍」が軍需関連技術の不透明性を物語っています。ナノにしても、通信技術にしても事情は同じだと思います。

 例えばステルス性の高い塗料などというのは、日本のお家芸らしいのですが、これも電磁波の吸収と反射をコントールする粉末なり、その塗料化などに独自技術があるのであれば、僅かなカネでアメリカに売り渡して「機密」として囲い込まれるぐらいであれば、携帯電話の人体への影響を抑えるとか、より高性能なMRI(電磁共鳴診断装置)の安全性確保に使うなどしたほうが市場としては大きいのではないかと思うのです。中国に航続の長い無人ヘリを売るのもダメだと言いますが、その無人ヘリでちゃんと必要な農薬散布などをやってくれた方が食の安全のためになるわけですし、有事には無害化できるように隠しチップなり何かを仕込んで置くなり懸念を払拭することなども技術的には可能ではないでしょうか?

 とにかく、軍需というのは「競争原理が働かない純粋な官需」「機密を理由に閉鎖的な世界へ技術者を追いやる」「使用しないための装備(抑止力)であるがゆえに真の効果測定ができない」など、イノベーションを阻害する要因をたくさん抱えているのです。これに対してメリットらしいメリットと言えば、比較的まとまった公費で長期的な研究ができるとか、価格が安定しているのでデフレへのヘッジになるというようなことでしょうが、その市場性にしても「味方しか相手にできず市場は半減」「そもそも成長率の高い新興国の多くは軍事上の同盟国ではない」「先進国である同盟国は深刻な財政危機で軍事費は削減トレンド」ということで、メリットは消える方向です。反戦平和のためだけでなく、経済合理性の上からも慎重に考えて欲しいと思うのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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