コラム

自動車のコモデティ化は防げるのか?

2009年11月02日(月)12時32分

 製品の付加価値がなくなり、性能(スペック)によって機械的に価格が決められる、しかも技術革新によってその価格がドンドン下落する・・・エレクトロニクス製品におけるこうした傾向のことを「コモデティ化」と呼ぶことがあります。例えばメモリとかハードディスクなどは、容量と応答速度だけで「原材料」のように価格が決まってしまいます。WD(ウェスタン・デジタル)ブランドのHDは、日立ブランドのHDとは動作音が違うとか感触が良いということは基本的にゼロだからです。夢とか感性といった要素が介入することはありません。最近では薄型TVなども価格競争の結果、こうした傾向が強まっていると言えるでしょう。

 大量生産のコンシューマー向け機械製品の場合、商品が成熟するとこうした「コモデティ化」は避けられないのですが、自動車だけは、長い間こうした傾向を逃れてきました。そこには色々な理由があると思います。(1)性能と安全性に相関関係がある「命に関わる乗り物」であること、(2)身にまとって移動する手段でありデザインに自己イメージを投影しやすい、(3)加速感や高速性能などのパフォーマンスがこれまた自己イメージの投影や全能感を刺激する、(4)居住性能からカーナビまで実用性の要素が多岐にわたり付加価値を与えやすい、(5)高額投資になるのでブランドへの信頼感が要求される・・・まあ、そんなことろでしょうか。

 ところが、昨年秋の金融危機で一旦高級車市場が冷え込んだことと、同時にエコカーへの置き換えが進む中で、こうした「自動車の付加価値神話」に翳りが出てきました。環境性能と経済性という2つの価値が急速に重要視されるようになってきたのです。「自動車産業に革命が起きている」と言っても良い変化がそこにはあります。勿論、この「革命」以前にもハイブリッド車のブームはありましたし、廉価で燃費の良いクルマへの志向もありました。ですが、この「革命」の前は、上に掲げたような自動車の付加価値は健在だったのです。

 例えば、史上最高益を謳歌していたトヨタは北米市場を中心にハイブリッドカーを大量に販売していましたが、それは、様々な付加価値の「プラス・アルファ」としての環境性能でした。レクサスのハイブリッドが象徴的であるように、アクセルを抑えれば燃費が稼げる一方で、踏み込めば「電気モーター+ガソリンエンジン」の豪快なパワーが炸裂するというような「罪深い」設計だったのです。悪く言えば「富裕層の自己満足」としての環境であり、それは性能とは矛盾しないというコンセプトだったわけです。また「革命前」の廉価な小型車というものも、確かに車両価格が安くて燃費の良いクルマだったわけですが、それは自動車の付加価値を否定したものではありませんでした。安い割に機能がたくさん付いているとか、安い割に高性能という価格帯なりの訴求ポイントはあったのです。

 ですが、今回の「革命」ではどうも違う動きになって行く可能性があります。簡単に言えば2つの点が挙げられます。「大きさ重さ」と「加速・高速性能」というクルマの付加価値が、環境と経済性という価値が圧倒的に重要視される中で否定され始めたからです。レクサスや、最近出たSクラスベンツやBM7シリーズのハイブリッドのような「大きくて速い」が「その割にはエコ」という富裕層向けのビジネスは、どんどん縮小して「もっと本気の環境性能、経済性」が要求されるようになる、そうしたトレンドがある臨界点を越えると「大きくて速い」ことの価値が社会的に否定されるようになる可能性が濃厚だと思います。

 勿論そうした「ラグジュアリーカー」が国際的な規制などで禁止されるような動きは、すぐには来ないでしょう。ですが、「大きくて速い」クルマが「豪華」であるとか「憧れの対象」というような価値観が社会から否定される中で、高級車ビジネスというものが急速にしぼんでいく可能性は十分にあると思います。例えば、ガソリンを大量に消費し、二酸化炭素を排出する「モータースポーツ」という娯楽が世界中で急速に色あせていることを考えれば、トレンドの方向性を実感せざるを得ないと思います。

 では、このまま自動車はコモデティ化して行くのでしょうか? 長期的にはそうかもしれません。やがて大量交通機関を含めた交通システムの全体で省エネと環境を考えていく、更にはムダな移動そのものを否定するような文化が席巻していく可能性もあるからです。中期的にも、もしも自動車の車体がデスクトップPCの筐体のようになり、モーターやブレーキ、電池などが汎用品と交換可能になって行くならば、主要部品は「モジュール化」していって、価格破壊と標準化がされる、そんなシナリオも可能です。

 ですが、当面の延命策はあると思います。それは「安全性」です。エコカーというのは、実はガソリンの高級車に比べると危険な乗り物なのです。とにかく重量を抑えるために構造はペナペナになりがちですし、積極的に危険回避をするための加速性能も犠牲になっています。またガソリン車に比べると、無音であることも危険な(この問題は人工音の発生など対策が検討されていますが)要素です。

 この「危険なエコカー」をハイテクや人間工学的なイノベーションで「武装」して、過去のガソリン車以上に安全で快適な乗り物にしてゆく、この方向性での付加価値創造はまだほとんど行われていません。今回のアメリカにおけるトヨタ車の「暴走問題」に関しては、政治的な「ひっかけ」というムードもあり、トヨタとしては「引き下がるべきでないし、危険を増すようなメカの改造を受け入れるべきではない」と思います。ですが、この事件をバネに、トヨタ車は、そして日本車は「安全」なのだということ、そもそも「エコカーは危険」だが「日本のエコカー」は過去にはなかったような安全技術という付加価値で圧倒的な差別化がされているのだ、そのような方向に自動車文明を持っていっていただきたいと思うのです。

 例えば、20世紀のクルマの付加価値が「囲まれ感」や「加速の快感」「制動能力」「車体の剛性感」といった孤立した本能に根差した価値であったとするならば、21世紀的なクルマの価値感とは「刻々と変化する周囲の交通状況のシミュレーション」や「周囲の交通との動的な調和から来る安心感」「自分より弱い歩行者や二輪などへ危害を加えない安定感・安心感」「より大きな車両にやられない器用な小回り感」そして「ドライバーが動的な環境変化との調和を関係性への参加感覚としながら安心な移動ができる」感性というような「全く違う文明」に持って行くことは可能でしょう。その新しいクルマ文明にエコや効率を組み合わせるのです。この文明は個人主義の風土ではなく、日本にこそ責任もチャンスもあると思います。

 そうすれば、自動車はあと20年ぐらいは「コモデティ化」に抗して付加価値のある、したがって産業として維持するに値する存在を守っていけるでしょう。これこそ正に「革命的な変化」を要求するものだと思います。個別のアイディアを小出しにしてもダメです。トータルな文明として圧倒的な差別化をしなくてはいけません。逆に、ダラダラと流れに任せて「廉価なエコカー」のシェア争いにのめり込んでいってしまっては、そもそもコスト高構造の日本の自動車産業はあっという間に衰退産業化してしまうのではないでしょうか?

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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